陸上強豪校から1浪→上智大の異色キャリア 1年間留学、就活、インカレ出場…夢は世界「自分の道は自分で作らなきゃ」――上智大・鈴木一葉
恵まれない環境も「私にはデメリットよりメリットが多い」と言えたワケ
1年秋の日本インカレに、2年春には日本選手権に出場。ブランクを感じさせないステップアップだったが、環境は恵まれたものではない。
部の練習は週3日。上智大には専用の練習場がなく、常に場所探しに奔走。練習日程も狂いやすく、周りに同じレベルで競い合えるライバルもいない。ただ、本人は「結局、陸上は個人種目。自分がしっかり走ればいいし、練習環境も自分次第でどうにかなる」とポジティブだった。
それ以上に、やるべきことをやれば、個人の意思が尊重される部の風潮が性に合っていた。最もありがたかったのが、大学2年の夏から1年間のオランダ留学。
「自由に行ってきて」という空気で送り出してくれた。「大学生活、陸上だけじゃなく、いろんなことをやりたいと思っていた私からすると、デメリットよりメリットが多い環境でした」。留学先にオランダのライデン大を選んだのは日本学科があったから。「世界から見た日本」に興味があった。
「日本と海外を繋ぐなら、自国のことを知らないと駄目。日本が海外からどう見られているのか、良い面ばかりじゃなく、悪い面も含めて見たい」と選択。すべて英語の授業をこなし、いろんな国の学生の友達を作った。
「日本人は本当にシャイ、考えを全然言ってくれない」と言われ、なんでもストレートに指摘するオランダの文化との対比に驚いた。一方でアニメ、寿司、ラーメンなど日本文化の人気も実感。そして、留学中の体験をアウトプットしようとYouTubeを始めた。最近は陸上関連にも話題を広げ、配信を続けている。
部活をやりながら留学をする学生も珍しくはないが、学生のトップクラスの競技力を持つ選手となると、そう多くはない。自分の幹は太くなった。
迎えた大学ラストシーズン。留学中は陸上から離れており、さらに帰国後は就職活動や大使館インターン、卒論執筆などに追われ7月から本格的に練習を再開し、短い準備期間で3年ぶりに日本インカレに出場した。夏からは埼玉栄の恩師・清田浩伸監督の指導を受け、走りのフォームやスタートなど、新しいアプローチを試した。
結果は100メートル、200メートルともに準決勝敗退。
「4年生の日本インカレ」というと、エモい文脈で語られやすいが、鈴木は首を横に振る。「感情云々ではなく、レースで自分の走りができたかどうかの方が私は大事。それで言うと、合格点かなと思うし、どちらかというと、自分の長い競技人生の一つの通過点になった」と前を向いた。
こうして、彼女のキャリアを紐解くと、特徴的なのは枠にハマらず、自分の意思・選択でなんでもチャレンジしていること。
日本はどちらかといえば、ひとつの物事に打ち込むことが美徳とされる文化だが、彼女の場合は真逆に近い。興味・関心を持ったものに何でも挑戦した。それには自分なりの軸がある。「自分の道は自分で作らなきゃいけない」というもの。
「中学生くらいから『自主性』を言われ始めるけど、よく考えたら先生が作った大きな枠の中で自由にやっているだけだって、生意気に中学生の頃から考えていたんです。それなりに順調に高校、大学とレールを進んでいく中で、もどかしさがあり、何か行動を起こしたいと思っていました。YouTubeを始めたこともそのひとつです。
『最初にやったことが自分に向いてなかったらどうするの?』というのが私の考え。いろんなことをやった上で、最終的に陸上に行きつけたらいい。やってみないと何が合うかもわからないし、他の可能性を捨てている気もする。なので、私は閃いたことはとにかく挑戦する。自分で道を作ることが結果的に良いように進むのかなって」
もともと自分で考え、当たり前を疑う思考だった。中学の時から中学では新入生は白のTシャツ、くるぶしより低いソックスは不可というルールを変え、埼玉栄時代にはA4で表裏3枚にわたる部則に疑問を持ち、不要なものは自分の代でなくした。
今でこそ、高校野球の坊主など前時代的なルールを見直す風潮があるが、前述の清田監督には「一葉が言ってくれたおかげ」と感謝されている。