松坂大輔と全国制覇の“父超え”目指した高校野球 横浜隼人の山野井主将、8強敗退にも「楽しめた」
第106回全国高校野球選手権の神奈川大会は20日、平塚市のバッティングパレス相石スタジアムひらつかなどで準々決勝を行い、横浜隼人は1-10で武相に7回コールド負けを喫し姿を消した。「4番・捕手」で先発出場した山野井寛大主将(3年)は、1998年に松坂大輔氏(元西武)らと甲子園春夏連覇を果たした父・成仁さんの母校横浜を倒すべく、横浜隼人に進んだ。勝てば横浜との準決勝という一戦に敗れ、目標を達成することはできなかったが、ノーシードからの快進撃を「楽しめました」とすがすがしく振り返った。
第106回全国高校野球選手権・神奈川大会
第106回全国高校野球選手権の神奈川大会は20日、平塚市のバッティングパレス相石スタジアムひらつかなどで準々決勝を行い、横浜隼人は1-10で武相に7回コールド負けを喫し姿を消した。「4番・捕手」で先発出場した山野井寛大主将(3年)は、1998年に松坂大輔氏(元西武)らと甲子園春夏連覇を果たした父・成仁さんの母校横浜を倒すべく、横浜隼人に進んだ。勝てば横浜との準決勝という一戦に敗れ、目標を達成することはできなかったが、ノーシードからの快進撃を「楽しめました」とすがすがしく振り返った。
父の姿を追い続けた、山野井の高校野球が終わった。バッテリーを組んだエースの沼井伶穏投手(3年)が初回に3ランを浴びるなど4失点。好調の武相打線を抑えることができなかった。1-10で迎えた7回2死、ネクストで出番を待った山野井に打席は回ってこなかった。それでも「やり切った。楽しめました」と話す表情はすがすがしかった。
ずっと意識してきた存在がいる。98年に松坂大輔氏らと甲子園春夏連覇を成し遂げた父・成仁さんだ。ただ高校進学にあたって選んだのは、父の母校ではなくあえて横浜隼人。「人数が多い中でレギュラーを取って活躍したかったのと、お父さんが横浜高校だったので倒したいなと思って」。中学時代からのチームメイトで、この日先発した沼井と一緒に入学し、強豪私学撃破を目指して戦ってきた。
部員140人の大所帯で、人生初めての主将を任された。意思統一に苦労したこともあったが、一人一人と話し合い「最後は同じ方を向いて頑張れた」と胸を張る。
そしてスタンドで見守った成仁さんが、山野井の姿から感じたものもある。神奈川どころか、日本中が熱狂した春夏連覇から26年。高校野球の形が変わりつつある中でも、その“熱”は「一緒ですね」と成仁さんは言う。横浜隼人ナインはこの夏、当時の横浜にも負けない熱戦を演じてきた。
18日に行われた相洋との5回戦で、横浜隼人は2点ビハインドの9回2死走者なしから4点を奪い逆転勝利。山野井は「これまでのベストゲームくらい」と話し、成仁さんも「さすがに逆転は厳しいかなと思ったけど……。奇跡ですよね」と目を細めていた。
父超えを目指してきた高校野球。あえて違う学校を選んだ息子に成仁さんは「ここまで来たんだからよくやっている」と温かい言葉をかける。山野井は今後も野球を続ける予定だ。「この大会は苦しいゲームが多くて我慢強さがついたし、ここでキャプテンができたことは人として成長できた」。自らが選択した場所で得た財産を胸に、次のステージへ進む。
(THE ANSWER編集部・山野邊 佳穂 / Kaho Yamanobe)