キャプテンは完璧じゃなくていい “ラグビー界最高の主将”がジュニア世代に贈る言葉
高校、大学よりも日本代表が「一番作りやすい」の真意
――チームに何が求められていたかを最優先に考えながらチームを引っ張っていたということですね。その結果として、辿り着いたものはあったのでしょうか。
「それ(求められるものに応えること)も大事なことです。一方で自分らしさも必要かなと。僕に対して『強い言葉で引っ張ってくれ』と言われてもそれはできない。だから、監督が言っていることの本質が要するになんなのかを踏まえて、やり方は自分らしく、が理想だと思っていました。今振り返って、キャプテンが大変だと感じていたのは大学時代です。100人を超える部員がいて、モチベーションもそれぞれで違う。背景も違う。それでいて年は若い。血気盛んな部員たちをどうまとめていくのか、そこは難しかったなと思います」
――どう向き合い、どう乗り越えていったのでしょうか。
「乗り越えた、ということをどの点から評価するか。結果というものを軸として考えると、大学では結果を出せなくて終わってしまったので、乗り越えられた気はしていません。僕は一生懸命キャプテンをやってはいましたが、だからと言ってみんなが同じ方向を向いていて、とてもいいチームになったかというと……それはわからない。失敗から学びながら、高校時代と同じように自分自身ちょっとずつ成長していけたのかなというのが正直なところです」
――客観的に見ると、大学よりさらに日本代表のキャプテンは大変に思えます。実績のある選手、年上の選手をどうまとめていったのでしょうか。
「これも基準をどこに置くかによって変わってきます。チームをどう作るのかを考えた時に大変なのは代表よりも大学だと思います。代表はみんな頑張って当たり前、モチベーションは高いし、ダメだったら代表から外れていってしまう。だからそういった意味では、一番チームを作りやすい。
代表でキャプテンを務めた当時、僕も30歳で東芝でもある程度結果が出ている状態でした。こうあったらいいんじゃないかという、自分の中での正解のようなものを持った上でキャプテンになれました。そういう意味ではチームを作る上での悩みはなかったです。最初から仲間がいた。ある程度僕の事を知っていて、僕のチームの作り方を理解してくれていることが大きかった。みんなでお酒を飲みながら、ワイワイやっていこうぜということができましたから」
――廣瀬さんと言えばエディー・ジョーンズさん(元日本代表HC、現イングランドHC)から「ラグビー界最高のキャプテン」と呼ばれたというエピソードが有名です。
「あれは半分リップサービスもあると思います(笑)。でも世界を知る人からああいったことを言ってもらえたことは嬉しかった。先ほどチームをまとめる大変さは大学の方が上だったと話しましたが、プレッシャーの大きさは代表と大学では全く違います。エディーさんからキャプテンに指名された当時の代表は、結果が出ていない状況で“負けて当たり前”という雰囲気もありました。エディーさんの中でも、選手たちのラグビーへ向き合う姿勢や、考え方といったマインドセットを変えないといけないというのは難しい状況だったと思います。僕もキャプテンとして、エディーさんとチームの間で、どう折り合いをつけていくのかは簡単ではありませんでした。これは時間がかかりました」
――ばらばらになってもおかしくなかったチームをまとめるため、色々なことに取り組まれたとお聞きします。
「具体的にはみんなでニックネームをつけあったり、必ず全員に一日一声かけるようにしたり、若い選手や、試合に出られない選手に対して“ビッグ・ブラザー”というメンター制度(※選手を二人一組にしてお互いの問題を指摘しあう)を作ったり。これは僕というよりは、マイケル(リーチ)とキクさん(元日本代表主将・菊谷崇氏)が中心になってやってくれていたのですが、君が代を歌う練習もしました。すべてはチームの結束力を強めるためです。
君が代の練習を何のためにするのかといえば、選手たちのいつもと違う一面が見られる、外国人選手が日本の事を知ることができるといった色々な目的がありますが、1番大きかったのはお互いを好きになれるということでした。歌詞の意味を教え合ったりすると、必然的にコミュニケーションが増えてきます。どんなチームにしていきたいのかという目的から逆算して、じゃあそのために何が必要かを考えていく。『日本代表のキャプテンって大変でしょう。苦労したでしょう』とよく言われますが、苦労したという思いはそれほどないんです。本当に周りのサポートに助けられました」