22:30に送られた涙のLINE 青春を土俵に捧げる北陸の高校生力士の「日本一」の意味
恩師を超えるために、日本一を目指す
富山県にある高岡向陵高校。宮城野部屋、尾車部屋、高砂部屋、大嶽部屋に、卒業生を輩出している名門校だ。体育館の横にある相撲場からは、「バチーン」「バチーン」と激しく体がぶつかり合う音が聞こえてくる。
自らもまわしを締め、ぶつかり稽古で胸を出す中山監督も、この土俵の上で青春を過ごした。東洋大卒業後、「地元に恩返しがしたい」と大相撲からの誘いを断り、母校へ戻った。前監督(現総監督)の犀藤和憲さんから監督を引き継いで7年。就任当初から「日本一」を掲げてきた。
「先代が作り上げた高岡向陵ブランドを汚してはいけないし、犀藤監督の成績を超えることが、育ててもらった恩返しになるという気持ちがある。先代を超えるためには、日本一しかない。私自身が選手として日本一になれなかった分、指導者として日本一になりたい気持ちが強くあります」
熱心な指導はようやく実を結ぶ。2019年9月に開催された全国高校相撲宇佐大会。団体戦で1981年創部以来の最高成績となる準優勝を飾った。富山県からの入賞は59年ぶりのことだった。
準優勝メンバー5人のうち、吉田利恩を除く4人が1、2年生。しかも「土俵際10センチからの逆転負け」(中山監督)という僅差での敗戦だったこともあり、翌年のインターハイ優勝へ、期待はいやおうなく高まった。
しかし、日本一に向けて激しい稽古を積んでいる最中、新型コロナウイルスの猛威により、学校は休校に。ぶつかり稽古など接触をともなう練習は禁止となり、寮生はそれぞれの地元に戻った。
「こういう時だからこそ、できることがある。日本一を目指すために、今できることをしっかりやろう」
中山監督はそう選手を励まし、一人ひとりに自粛期間中にできることをアドバイスした。
中量級だった館宝(3年)は、自粛期間中に「瞬発力がいいから、軽量級の方が伸びるんじゃないか」と勧められ、自重トレーニングや食事制限をして90キロあった体重を80キロまで落とした。高校から相撲を始めた館は、初めての全国大会となった今年3月の全国高校相撲選抜大会80キロ級で、5位という好成績を収める。
「コロナで、集まって練習ができなくて悔しかったんですけど、自分を変えてくれるきっかけにもなったので、少し感謝している部分もあります」と顔を輝かせる。
当時中学3年生だった五十嵐翔(1年)は、中学校に相撲部がなかったため、高岡向陵高校で練習をしていた。「高校に向けて頑張ろう。上半身が弱いので、トレーニングを追加したほうがいい」。全中相撲大会が中止となり、目標を見失っていた五十嵐は、中山先生の言葉に背中を押され、1日腕立て1000回などの上半身強化と基礎練習に取り組んだ。その成果もあり、今年1月1日に行われた全中の代替大会「立川立飛・元日相撲」で見事優勝。中学生横綱に輝く。
また、今春卒業した前主将の堺井勇希も「インターハイが中止になって落ち込んだが、中山先生の『こんな時だからこそ』という言葉のおかげで立ち直れた」と学校のホームページに綴っている。
中山監督の言葉を支えに、選手個々が「こんな時だからできること」に向き合い、成長した。そのあきらめない姿を見て、中山監督も学ぶことが多かったという。
当時を思い出して、時折言葉を詰まらせながら、ゆっくりと言葉を重ねた。
「僕自身はなかなか立ち上がれませんでした。3年生も中止を聞いた時は悔しくて泣いていたんですけど、『インターハイはなくなったけど、僕たちが目指しているのは日本一。一人ひとりの日本一を目指そう』とレギュラー選手だけじゃなく、3年生全員が誰一人腐らず一生懸命練習に取り組んでいた。
僕の言葉が彼らの支えになっていたのは、なんていったらいいんでしょう……、これ以上嬉しいことはないし、僕の言ったことを自分なりに吸収して、僕の指導をはるかに超えて彼らは成長した。大会に勝つことよりも、人間として、大きく、強く。教え子ながら頼もしいし、本当に誇りに思います」