思ってもみなかった“父娘鷹” 大阪桐蔭、「いつまでおるねん」から掴んだ日本一
当初は1週間のはずが…永井コーチ「娘からしてみれば、いつまでおるねんという形」
2015年の春に永井が入学。その後、森田久鶴監督の体調面の考慮などがあり、アシスタントコーチ就任の要請を受けたのが永井コーチだった。最初は1週間と聞いていたが、少しずつ延長され、現場を任される形になった。
娘がいるチームの指導を任された永井コーチは「娘からしてみれば、森田先生に教わりに行ったのに(親が)何しに来るねん、いつまでおるねんという形ですから。僕もどうすればと思いましたけど、娘の方が嫌だったでしょうね。今も大変ですよ。たまに車に乗せて家まで帰りますけど、機嫌の良いときは、何かよく分からん歌を歌っていますが、練習で怒ったときなんかは、ぷいと横を向いていますからね。だったら電車で帰れよと思いますけど……。車の中、悲惨ですよ」と話し、苦笑いを浮かべた。
饒舌な親に対し、娘は取材となると口数が少なくなる。父がコーチになると聞いた時にどう思ったかと聞くと「うーん……」と言葉を選んでいたが、父の言葉を借りて「嫌だった?」と聞くと「はい、それはありました」と笑った。だが、父の教えは、しっかりと受け止めている。
「最初はやりにくかったけど、コートとそれ以外でしっかりと切り替えるようになりました。私は、いつも弱気になってしまう。相手が強いと感じると、すぐに仲間に頼ってしまう。だから、いつも『強気で攻めろ』と言われています」と話した通り、強気のプレーで栄冠をつかんだ。娘の弱点を指摘した父と、父の叱咤に応えた娘が日本一に輝いた。
(平野 貴也 / Takaya Hirano)