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印象に残った高木美帆の笑顔と涙 日本スピードスケートは個人で入賞者3人と苦戦…“復活”へ残る課題

個人種目の入賞者3人は14年ソチ大会に並ぶワーストタイの数字

 始まりは1984年サラエボ大会、大雪の悪天候(当時は屋外リンク)の中、北沢欣浩が銀メダルを獲得した。88年カルガリー大会では黒岩彰が銅、92年アルベールビル大会では黒岩敏幸と井上純一が銀と銅を手にした。98年長野大会で清水宏保が金メダルに輝くなど2002年ソルトレークシティまで6大会連続で6人が表彰台に立った。

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 もっとも、近年はかつてほどの勢いがなくなった。10年バンクーバー大会で長島圭一郎が銀、22年北京大会で森重航が銅メダルを獲得したが、今大会は新濱立也の6位が最高。日本選手団の旗手を務めた森重は10位に終わった。スケート靴の進化と各国の技術力向上などもあって、日本の優位性は過去のものになった。

 男子短距離だけではなく、今大会のスピードスケート陣は元気がなかった。チームパシュートを除く個人種目の入賞者は高木と新濱、女子1000メートル7位の山田梨央の3人だけ。入賞が6位から8位までに変わった1988年大会以降では、メダル0で「惨敗」と言われた14年ソチ大会に並ぶワーストタイの数字だ。

 大会前、日本スケート連盟は今大会の目標を「複数の金を含むメダル5個」に設定したが、実際は銅メダル3個。13を目標にしていた入賞数も、個人3種目で入賞を果たした高木と男女のチームパシュートを含めても7に終わった。高木の活躍に救われたとはいえ、日本スケート界にとっては厳しい結果だ。

 14年ソチ大会後、有望選手を集めて通年活動するナショナルチームが結成された。所属の枠を超えた集中強化は、18年平昌、22年北京大会の好結果につながった。北京大会後には高木をはじめ有力選手が次々と離脱してナショナルチームは規模を縮小。それぞれが個別強化で大会に臨んだが、思うような結果は出せなかった。4年後に向けて、強化体制の見直しも必要になりそうだ。

 スノーボードが新たな「冬のお家芸」になり、フィギュアスケートやスキージャンプも世代間のバトンタッチが見られるなど感動的だった。そんな中、長年日本の「冬」を引っ張ったスピードスケートで印象に残ったのは、高木の笑顔と涙だけ。もちろん、メダルだけがすべてではないが、もっと多くの選手の笑顔が見たいと思う。

 ヒリヒリするようなスタートの緊張感、高速でカーブに突っ込むときの高揚感、スピードスケート500メートルは夏季大会でいえば陸上100メートルだ。採点競技が多い冬季大会の中で、日本がタイムだけで頂点に立てる数少ない競技。だからこそ、再び世界を席巻する日本短距離陣の活躍が見たい。4年後はすぐに来る。

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

日本の冬季五輪競技別獲得メダル数


競技
スピードスケート 5 10 14 29
スノーボード 5 5 6 16
フィギュアスケート 4 8 5 17
スキージャンプ 4 7 7 18
ノルディック複合 2 3 2 7
フリースタイルスキー 1 1 5 7
ショートトラック 1 0 2 3
カーリング 0 1 1 2
アルペンスキー 0 1 0 1
合計 22 36 42 100



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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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