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印象に残った高木美帆の笑顔と涙 日本スピードスケートは個人で入賞者3人と苦戦…“復活”へ残る課題

スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」ではミラノ・コルティナ五輪期間中、連載「OGGIのオリンピックの沼にハマって」を展開。スポーツ新聞社の記者として昭和・平成・令和と、五輪を含めスポーツを40年追い続けた「OGGI」こと荻島弘一氏が“沼”のように深いオリンピックの魅力を独自の視点で連日発信する。第14回は、スピードスケート界の変化について。

ミラノ・コルティナ五輪で2つの銅メダルを獲得した高木美帆【写真:ロイター】
ミラノ・コルティナ五輪で2つの銅メダルを獲得した高木美帆【写真:ロイター】

連載「OGGIのオリンピックの沼にハマって」第14回

 スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」ではミラノ・コルティナ五輪期間中、連載「OGGIのオリンピックの沼にハマって」を展開。スポーツ新聞社の記者として昭和・平成・令和と、五輪を含めスポーツを40年追い続けた「OGGI」こと荻島弘一氏が“沼”のように深いオリンピックの魅力を独自の視点で連日発信する。第14回は、スピードスケート界の変化について。

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 高木美帆の思いは届かなかった。こだわり続けたスピードスケート女子1500メートル、前半は完ぺきだった。「攻める」姿勢で積極的なレースを展開したが、ラスト1周で失速して6位。目指し続けてきた金メダルには手が届かず、過去2大会銀メダルで乗った表彰台に立つこともできなかった。ここまでの道のりを知れば、こちらこそ「言葉にするのは難しい」と思った。

「実力不足です」と涙したが、今大会も500メートル、1000メートルと個人2種目で銅メダル、中心として引っ張ってきたチームパシュートは決勝進出こそ逃したが表彰台では笑顔もみせた。

 ここまで、本当に長かった。思い出すのは10年バンクーバー五輪の壮行会。中学サッカー部のFWとして活躍し、北海道のU-15ナショナルトレセン合宿にも参加していた15歳の高木に、IOC委員で日本サッカー協会会長だった岡野俊一郎氏が「TAKAGI」と背番号「10」が入ったなでしこジャパンのユニホームをプレゼントした。

 女子W杯で日本代表が優勝する1年半前。17年に亡くなった岡野さんも元気で「高木さんのような人が残ってくれるように、女子サッカーも頑張らないと」と話していた。14年ソチ大会は出場がかなわなかったが、18年平昌大会から積み重ねたメダルは10個。もちろん、冬季大会では最多、夏季大会を含めても女子では最多の数になる。

 前日のフィギュアスケート女子シングルで2個のメダルを手にし、日本の冬季五輪総メダル数は金22、銀36、銅42で合計100個の大台に達した。1956年コルティナ・ダンペッツォ大会でアルペンスキー男子回転の猪谷千春が銀メダルを手にしてから70年、コツコツと積み上げた100個だが、そのうち10分の1は高木が稼いだことになる。

 100個のメダルを競技別にみると、最も多いのはスピードスケートで29個(金5、銀10、銅14)。ここ3大会は高木ら女子の活躍が光るが、もともと得意種目は男子短距離だった。特に500メートルは表彰台の常連。小回りがきく小柄な体格がよかったのか、世界屈指と言われるカーブワークでメダルを量産してきた。

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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