五輪で日本快進撃、スノーボードの根底は「国より人」 消えないカルチャーが紛争の時代に灯す希望
インタビューで感謝の対象は「日本」より「近しい人たち」
長野五輪でスノーボードが採用された時、多くのトッププロが反発した。IOCが当時の国際スノーボード連盟の頭越しに国際スキー連盟(現国際スキー・スノーボード連盟)に競技のハンドリングを任せたことに対する怒りもあったが、何よりもスノーボードのカルチャーが五輪に侵されるのを嫌った。
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その中の1つが「国を代表する」ことへの違和感にあった。国の代表として臨む五輪と違い、スノーボードは大会があっても個人として出場するのが普通。Xゲームなど世界的な大会の表彰式でも国歌や国旗掲揚はなかった。何よりトッププロのほとんどが米国人。国別に出場枠が設けられれば、多くのトッププロは参加できない。
スノーボードにとって「国」は五輪が勝手に作り上げた価値観。もともとカウンターカルチャー的なところから発展した競技のルーツを考えれば「国」からはかけ離れたところにある。「国の枠を超えて」ではなく、もともと「国の枠」などなかったのだ。
もちろん、今の選手たちは五輪を見て、目指した世代。当時のことなど知るわけもない。それでも、カルチャーは失われてはいない。21年東京大会で同じ「横乗り系」のスケートボードやサーフィンが五輪に仲間入り。再び国を超えた価値観が強調されてきた。
21年東京大会スケートボード女子パークで4位に終わった岡本碧優が他国の選手たちに担ぎ上げられたシーン、22年北京大会スノーボード女子ビッグエア4位の岩渕麗楽に仲間が駆け寄ったシーン…。国家間の対立が激しくなり、紛争が絶えない今だからこそ、五輪で繰り広げられる「横乗り」では日常のシーンに胸が熱くなる。
今大会で注目されたスノーボーダーの声に耳を傾けてほしい。インタビューで「感謝」の言葉を並べるが、その中に「日本」や「国民」はほとんど出てこない。繰り返されるのは「親」であり「家族」であり「仲間」や「コーチ」、あとは「応援してくれる人」。近しい人たちへの感謝だから、言葉に重みがある。
国と国との関係は大事だが、その根底には人と人とのつながりがある。国の概念を取っ払って、志を同じにするものが互いに理解し、高め合う。国や大きな組織などではなく、まずは身近な家族や仲間に感謝する。そういう小さな積み重ねこそが、本当の平和につながる気がしてならない。
スノーボードが五輪の仲間入りをして30年近くがたった。五輪の価値観に侵された部分もあるのかもしれないが、それ以上に五輪の価値観を変えてきたように思う。「より速く、より高く、より強く」は五輪のモットーだが、IOCは21年に「より速く、より高く、より強く―共に」と変更した。付け加えられた「ともに」。間違いなく、五輪も変わろうとしている。
(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)
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