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平野歩夢は絶対逃げない 命を削り、突破を重ね…生き様が繋げた「日本スノボ黄金時代」の到来

満身創痍の中、挑戦し続けた平野【写真:ロイター】
満身創痍の中、挑戦し続けた平野【写真:ロイター】

「チャレンジ」を続ける平野の影響…メダル無くても計り知れない

 結果として平野は驚異的なスピードでスケボーの成績を上げて東京五輪に滑り込み出場。「冬夏で五輪出場」の目標を達成すると、すぐさまスノボに専念。見事に北京で金メダルを手にし、ショーン・ホワイト(米国)から王座を継承した。

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 15歳で14年ソチ大会の銀メダリストとなり、18年平昌大会で2大会連続メダル獲得、21年東京大会でスケボー代表になり、22年北京大会で初の金メダルを獲得した。競技の合間にはバックカントリーで滑り、ビデオの撮影もする。尽きることのない平野の「チャレンジ」が、20歳前後の「黄金世代」を刺激してきた。

 もともと、スノーボードのカルチャーが「チャレンジング」だ。人と同じトリックではなく、自由な発想から生まれる独創的なトリックが好まれる。そこに平野のようなロールモデルが現れた。

 平野がソチで銀メダルを手にした時、今大会に出場している選手たちは小学生(平野自身も中学生だけど)。他競技のメダリストとは違うクールでかっこいい姿に憧れた。「歩夢クンのように」。単に競技成績だけでなく、その発言や行動、生き様が目標になった。

 今大会、スノボフリースタイル4種目(ビッグエア男女、ハーフパイプ男女)で金メダル3、銀メダル1、銅メダル2。日本選手はすべて予選を突破し、各種目12人の決勝に4人ずつ、計16人が出場した。「スノボ王国」と呼ばれた米国は半分以下の7人だけ。その数字だけでも、日本スノボ界の躍進が分かる。

 驚いたのは、その全員が「チャレンジング」だったこと。すべてのトリックに全力。順位を計算するようなことはせず、みな自らのベストパフォーマンスを披露しようとする。もちろん、それが競技の特性でもあるのだが、そこに「チャレンジ」を続ける平野の影響があるのは間違いない。

 パイプの5メートルも上まで飛び上がるハーフパイプ。雪は固められてコンクリートのようになる。少しミスすれば5階建てのビルからアスファルトの地面にたたきつけられるようなもの。「命がけ」は大げさではない。ケガの影響で身体の自由がきかない状態ならなおさらだ。それでも「チャレンジ」から逃げない平野。メダルなどなくても、その姿勢だけで後進に与える影響は計り知れない。

「ここに立てて、自分ができるマックスに向き合ってチャレンジできた」と、満足そうに振り返った平野。「無事にけがなく、身体が戻ってきて、生きていてよかったなと」と笑顔もみせた。オーバーではなく何度も死にかけてきただけに、その言葉は重い。ただ、生きていればまた「チャレンジ」できる。

 五輪5大会に出場しているとはいえ、まだ27歳。「若手」が多い競技でベテランになったが、これからも「チャレンジ」をやめることはないはずだ。「悔いなく、前に進んで行こうと思います」。平野の挑戦が終わることはない。(荻島弘一)

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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