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スノボ日本メダル連発、背景に「親」の影響 悲壮感もアスリート臭もなし…根底に「遊び」見え隠れ

学校の枠組みに当てはまらないスノボ 親の支えなしで続行できず

 日本のスポーツを支えてきたのは学校だが、スノボはその枠組みには当てはまらない。練習は学校を離れた個人。親の支えがなければ、競技は続けられない。

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 練習のために雪山に行くのは大変だし、夏場のオフトレ施設があるとはいえ数は限られる。成長して自らハンドルを握れるようになれば別だが、子どもが自力で行けるわけもない。送迎するのは親の役目。その支えがなければ続かない。

 金銭的にも負担は大きい。大会に出るには旅費や滞在費もいる。送迎する親の分も必要になる。スポンサーがついて用具代の心配がなくなっても、自腹の部分は大きい。将来が嘱望される子どもの親の「お金がかかるので、やめてもらった」という話も決して珍しいものでもない。

 子どもの競技のために親は時間を犠牲にし、莫大な費用を負担する。支えるために仕事を変えたり、よい練習環境を求めて家族で引っ越したり。選手の努力はもちろんだが、親の努力も相当なもの。日本の「新お家芸」を支えているのは、親たちかもしれない。

 今大会で一気にスノボがブレイクしたのも、そんな背景があるからだ。ビッグエアに出場した日本選手は、ほとんどが20歳前後。「スノボ世代」の二世で、ボーン・スノーボーダー(生まれながらのスノーボーダー)が多い。

 かつて、スノボはゲレンデの「厄介者」だった。1980年代から90年代にかけて、原田知世の「私をスキーに連れてって」に感化された若者は、ユーミンや広瀬香美を聞きながらゲレンデを独占していた。90年代に入ってスノーボードを楽しむ層も増えたが、当初は多くのゲレンデで滑走禁止。許可されても、場所や時間など限定的だった。

 それでも愛好者は増え続け、90年代半ばからは各ゲレンデが「営業優先」で解禁。98年長野大会で五輪の仲間入りを果たしたのをきっかけに、それまでの「ヤンチャな若者の遊び」が「スポーツ」になった。ブーム最盛期は2000年代初頭から後半くらい。ゲレンデはスノーボーダーのものだった。

 今の50代から60代が「スキー世代」だとしたら、50歳前後から下は「スノボ世代」。学生時代にスノボにはまり、結婚して子どもが生まれても家族で出かけた。その子どもたちが今大会で大活躍している。

 過去の日本代表選手は、競技開始年齢が遅かった。父親がスケートパークを経営するなど環境に恵まれた平野歩夢ら一部を除けば、幼少期から競技に触れていた選手の数は多くない。今回は「スノボ世代」二世の「黄金世代」が20歳前後になり、一気に日本の競技力が上がった。

 日本代表男女各4人全員が12人しか残れない決勝に残って世界を席巻したビッグエアに続き、スロープスタイルが行われる。平野が連覇を狙うハーフパイプも「黄金世代」の台頭でメダルラッシュが期待できる。支えてきた親たちの胸にも、まだまだメダルが輝くに違いない。(荻島弘一)

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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