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陸上「三段跳び」はなぜ生まれた? 「二段」「四段」ではない理由 古代五輪にも記録の歴史

陸上の世界選手権東京大会は連日熱戦が繰り広げられている。スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」は期間中、スポーツ新聞社の記者として昭和・平成・令和とスポーツを40年追い続けたスペシャリスト・荻島弘一氏が、今さら聞けない素朴なギモンに回答する連載を展開。第6回は「三段跳びってどうして生まれたの?」。

女子三段跳びに出場した高島真織子【写真:松尾/アフロスポーツ】
女子三段跳びに出場した高島真織子【写真:松尾/アフロスポーツ】

第6回「三段跳びってどうして生まれたの?」

 陸上の世界選手権東京大会は連日熱戦が繰り広げられている。スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」は期間中、スポーツ新聞社の記者として昭和・平成・令和とスポーツを40年追い続けたスペシャリスト・荻島弘一氏が、今さら聞けない素朴なギモンに回答する連載を展開。第6回は「三段跳びってどうして生まれたの?」。

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Q.三段跳びってどうして生まれたの?

A.昔からやっていたから

 三段跳びは、3歩で跳んだ距離を競うもの。五輪では第1回の1896年アテネ大会から正式種目。わずか12種目しかなかったうちの1つです。「二段跳び」や「四段跳び」はなく、あくまでも「三段」。陸上にとって大切な種目でしたが、その起源ははっきりと分かっていません。

 五輪で行うきっかけになったのは、2000年以上前に行われていた古代五輪に記録があったから。15メートル超の記録を見つけた研究者が「連続ジャンプ」だと推測。「3歩くらいか」ということで三段跳びが生まれたのです。

 もっとも、第1回で五輪初代金メダリストとなったジェームズ・コノリー(米国)の記録は13メートル71。古代五輪の15メートル以上の記録は相当にレベルが高く、今の三段跳びとは違う方法、または3回の走り幅跳びの合計距離など、解釈にはいろいろあるようです。

 陸上競技の中でも、最も着地の時に脚への負担が大きい種目。五輪女子の走り幅跳びは1948年ロンドン大会から実施されましたが、三段跳びは96年アトランタ大会から。「女子が行うには脚への負担が大きすぎる」というのが走り幅跳びから半世紀も採用が遅れた理由でした。

 英語では「トリプル・ジャンプ」。かつては「ホップ・ステップ・アンド・ジャンプ」で、日本では「ホスジャン」とも呼ばれました。「三段跳」と命名したのは、織田幹雄。28年アムステルダム五輪のこの種目で、日本人初の金メダリストになった「日本陸上界の父」でした。

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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