中1で一番弱くて泣いていた大野将平、連覇の理由 北田典子「試合後、当時の顔に戻った」
今だから明かせる中学時代の大野の言葉「ボクのこと、信じてくれますか?」
リオ五輪のときは、ある意味、強さで言えば、一番ピークでした。今も世界で頭一つ抜けていると思うんですけど、やはり年齢もありますし、世界中がみんな研究してきている。ただ、これを超えて金メダルを取れたということ、これが成長だと思うんですね。インタビューで「悲観的なことを考えてしまいがちで」と言っていましたけど、そこをどうにか自分で奮い立たせて、いろんな学びをしながら年齢を超えていった。29歳のこの1年ってすごく大きい。去年だったらまた勝ち方も違ったと思う。練習ができない日々があったり、トレーニングしかできない日々があったり、その不安の中での闘い。それが、新しい大野将平として成長させてくれたんじゃないかなと思います。
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大野選手が講道学舎に入ってきたとき、私は中学生を担当していました。特に1、2年生を見ていました。講道学舎は技術云々はあまり教えない。もちろん練習も毎日見ますけど、技術的なことより精神的な生活のサポートであったりというところが大きかった。
忘れられないのが大野選手が中学1年生のときです。体も小さかったですし、一番弱かったんです。だけど、中学2年生のとき、ある日、私に「ちょっと話があるんですけど、応接に来てください」と言って、2人で話しました。大野選手は先に講道学舎に入門していたお兄さんがすごく強かった。だから「みんなアニキが日本一になる、日本一になるって言うけど、ボクは世界一になるんです。ボクのこと、信じてくれますか?」と泣きながら言ってきて、私は「信じてるよ」と返したんです。
「世界チャンピオンは自分がなると決めた人間がなるものだし、あなたが本当に決めているんだったらそうなるでしょう」という話をして。私も2人兄妹の2番目で、あの子も2人兄弟で、私も自分を長女だと思ってなくて“次男”だと思っていたので、「だいたい、次男坊のほうが強いんだよね」と声をかけたのを覚えています。
彼は毎日毎日、そういう思いで道場に上がり続けました。大野選手のお兄さんは高校1年生のとき、肘の大きなケガをして、それからなかなか調子が上がらない時期がありました。全国大会の前とかは強いから期待されるし、プレッシャーがかかります。そんなとき、大野選手はお兄さんを鼓舞するような言葉がけをしたり、練習でも自分からかかっていって、逆に胸を貸すじゃないけど、そういう姿が印象に残ってますね。「お兄ちゃん、しっかりしろ!」みたいな。お兄さんに対するリスペクトはいまだに強いと思うんですけど、私はその姿を見て「あー、お兄ちゃんを超える瞬間だな」と思いました。
男子柔道で連覇は史上4人目です。
今年、古賀稔彦君が亡くなったことで、改めて感じたことがありました。古賀君は本当に骨の髄まで柔道が好きな人だったなって。子どもたちを指導するにしても、選手としても、スター古賀稔彦のまま終わることはできたわけです。だけど、私が一番美しいと思った試合は、最後の講道館杯かな。これが世界の古賀かっていうほど、ボロボロになって闘っていた姿を見て、美しいなって思いました。おそらく大野選手はパリ五輪も目指しているでしょう。私は本当に、最後の1滴まで選手として闘ってもらいたい。だからこそ、伝説に残る柔道家になると思います。
(日本大学柔道部女子監督、全日本柔道連盟常務理事)
(THE ANSWER編集部)