「人生うまくいかない事ばかり。でも…」 涙のボディビル日本一、ジュラシック木澤が最後に残した至言
ボディビル日本選手権が6日、大阪・国際障害者交流センターで行われた。今大会限りで引退を表明していたボディビル界のレジェンドで「ジュラシック」の愛称で知られる49歳・木澤大祐が初優勝。20度目の挑戦で有終のVを飾り、30年間にわたる競技人生に幕を下ろした。取材では、ドラマチックな展開で掴んだ日本一に「最後に、こんな結末が待っているとは……」と感激を吐露。ついにボディビルの神様に愛された男は、この競技から学んだ財産を打ち明けた。(前後編の前編)
各コンテストで輝く選手たちを紹介「ボディコンテスト名鑑#71 木澤大祐」
ボディビル日本選手権が6日、大阪・国際障害者交流センターで行われた。今大会限りで引退を表明していたボディビル界のレジェンドで「ジュラシック」の愛称で知られる49歳・木澤大祐が初優勝。20度目の挑戦で有終のVを飾り、30年間にわたる競技人生に幕を下ろした。取材では、ドラマチックな展開で掴んだ日本一に「最後に、こんな結末が待っているとは……」と感激を吐露。ついにボディビルの神様に愛された男は、この競技から学んだ財産を打ち明けた。(前後編の前編)
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ボディビル界が感動に包まれるステージだった。審査結果の発表、最後に「木澤大祐」の名前が読み上げられ、優勝が決まると、この日一番の大歓声が沸き起こった。なかには涙する仲間や関係者、ファンも。それが、この日本一の意味を表していた。
30年間の競技生活、最後で悲願の初優勝。木澤は壇上でマイクを握ると、感無量の表情で胸中を明かした。
「思い返せば、18歳で競技を始め、29歳で初めて日本選手権に出て、今年で20年連続挑戦しました。負け続けたからこそ、今の自分がある。最後の最後に、こんなに良い景色が待っているなんて思いもしなかったです。今まで続けてきてよかったです。ありがとうございました」
「ジュラシック」の愛称で知られ、ボディビル界を代表する存在だったが、20年連続でファイナリスト入りしている日本選手権は最高成績が2位。どうしてもNo.1に届かず、何度も壁に跳ね返されてきた。だが、最後の最後に、最高の景色が待っていた。
表彰式の後には報道陣の取材に応じ、心境を明かした。
――今の心境は。
「最後にこんな結末が待っているとは思わなかったです。やり切ったし、最後の最後に(日本一という)結果が獲れたので、こんな楽しい競技人生を送れて幸せでした」
――山あり谷ありの競技人生だった。
「(苦しい時は)こんなはずじゃないと思って、応援、サポートもいただき、自分の中の意地もあった。昔からバルクは負けていなかったけど、絞りとポージングが(課題)と言われていた。そこを改善すれば、上にいけると希望を持って毎年挑んでいたけど、ダメで、また挑戦してまたダメで……かれこれ10年くらい続いて40歳を過ぎてから自分のジムを作るという転機が起きて、環境ががらっと変わり、体を休められるようになって、第二のボディビル人生がスタートし、今日に繋がったと思います」
――諦めなかったから今日がある。
「50歳になる歳だけど、この歳で日本一になれるので。今後の若い選手にしっかり道を作れたなと思いますね」
――今日は若い選手とも一緒にステージに立った。
「今日もガラッと若い選手に変わっていたし、最後の最後にこれからの時代を背負っていく彼らと一緒のステージに立てた。新時代に、最後に足を一歩踏み入れて立ち去れるのは幸せです」
――ポーズダウンで隣の選手とコミュニケーションを取っていた。
「一人一人の選手に感謝の気持ちを。私は慣れているので、余裕もあるので(笑)。そこで一人一人にコミュニケーションを取りながら、お礼を表しました」
――フリーポーズの選曲は。
「ファンの方が選んでくれました。ディズニー映画『ヘラクレス』の『Go the Distance』という曲です。何かを成し遂げるという意味があり、今年の僕にぴったりだなと。曲の最後はYouTubeでもコンビを組んでいた岡部(みつる)さんの声で『ボディビルありがとう、さようなら』(英語で『Thank you Bodybuilding,and goodbye』)というメッセージを入れてもらいました」
――ボディビルから教わったこと。
「人生、ほとんどのことがうまくいかないんだなとつくづく思い知らされた。でも、それを乗り越えていくと、こんな楽しみがあるんだと。山あり谷あり、本当に激しい山と激しい谷がいっぱいあった。それを経験させてくれました」
さらに、取材では優勝を求められた大会で重圧があったことを告白。次世代への願いも明かした。
(続く)
(THE ANSWER編集部)