誰もがウイイレで使った伝説FWババンギダの今 狂気のスピード値「99」で日本でも大人気
サッカーのカタール・ワールドカップ(W杯)が、20日についに開幕した。なかには「4年に一度のW杯だけは観ている」あるいは「昔はよく見ていたけど、最近は…」という人もいるだろう。そんなファン向けにかつてW杯に出場し、話題になった海外選手をプレーバック。懐かしい“あの人”の今をお届けする。今回は1998年フランス大会に出場したナイジェリア代表FWティジャニ・ババンギダ。
【W杯あの海外選手は今】98年フランス大会 ナイジェリア代表FWティジャニ・ババンギダ
サッカーのカタール・ワールドカップ(W杯)が、20日についに開幕した。なかには「4年に一度のW杯だけは観ている」あるいは「昔はよく見ていたけど、最近は…」という人もいるだろう。そんなファン向けにかつてW杯に出場し、話題になった海外選手をプレーバック。懐かしい“あの人”の今をお届けする。今回は1998年フランス大会に出場したナイジェリア代表FWティジャニ・ババンギダ。
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あの快速ウィングは、今も忘れられない。1991年に17歳でオランダに渡ったババンギダ。VVVフェンロ、ローダJCを経て、96年に強豪アヤックスに移籍。すると、爆発的なスピードを武器にセンセーショナルな活躍を演じた。
欧州チャンピオンズリーグ(CL)準々決勝のアトレティコ・マドリード戦で決勝ゴール、97-98年シーズンは13得点を挙げてリーグ優勝に貢献。96年アトランタ五輪で金メダルを獲得し、98年フランスW杯に出場した。カヌ、オコチャら当時のアフリカを代表する名選手とともに背番号13をつけ、1次リーグでラウル、イエロらを擁するスペインを破るなど、決勝トーナメントに進出。ベスト16と躍進した。
日本では、サッカー通には知られていたババンギダ。一気にその名を広めたのは現実世界ではなく、サッカーゲーム「ウイニングイレブン」シリーズだ。
なんといっても、魅力は規格外のスピード。能力値はMAXの「99」に設定され、実際に選手を補強しながらオリジナルチームを強化する「マスターリーグ」で安価に獲得できた。裏へのパスに飛び出したウィングのババンギダが、サイドから守備陣をぶっちぎり、GKと1対1を作って得点を量産してくれた。98年フランス大会から02年日韓大会にかけてのサッカーブームとともにウイイレ人気も上昇。それに伴ってババンギダは当時の中高生の間でも熱烈に愛された。
そんなババンギダは今、何をしているのか。
2000年以降はトルコ、サウジアラビア、中国などを渡り歩き、05年に引退。ナイジェリアの最大手スポーツ日刊紙「コンプリート・スポーツ」によると、引退前年の04年には200万ドルの契約を結び、多くのサッカーボールを母国に寄付。また、ナイジェリアの都市カデゥナにショッピングモールを開業するなど、ビジネスシーンで活躍する傍ら、引退後は選手の代理人を務めることもあった。
活躍の場はさらに広がり、ナイジェリアメディア「スポーツ247」によると、2020年にはナイジェリア国内サッカーの2つの選手会が統合して誕生したプロフェッショナル・フットボーラーズ・アソシエーション・オブ・ナイジェリア(PFAN)の初代会長に就任し、奮闘している。
今年9月には49歳を迎えたババンギダ。その際には古巣アヤックスが公式サイトで4分間のハイライト動画を公開して祝福した。「1990年代にそのドリブルと陽気なパフォーマンスでアムステルダム観客のお気に入りとなった」などと紹介され、今もアムステルダムで愛されている。カタール大会前に行われたナイジェリア代表の親善試合ではナイジェリアメディアに試合についてもコメントを寄せており、ご意見番としても活躍している様子だ。
スピード「99」で鳴らした足をしっかり地につけ、ババンギダは今も母国のサッカー界のために尽力している。
(THE ANSWER編集部)