改めて考えるオリンピックの意味 「メダルの数」で評価される限り、日本のスポーツ文化は成熟しない――中京大教授・來田享子
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
「シン・オリンピックのミカタ」#72 連載「私のスポーツは人をどう育てるのか」第8回
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
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今回は連載「私のスポーツは人をどう育てるのか」。現役アスリートやOB・OG、指導者、学者などが登場し、少子化が進む中で求められるスポーツ普及を考え、それぞれ打ち込んできた競技が教育や人格形成においてもたらすものを語る。第8回は中京大学・來田享子教授。日本オリンピック委員会理事を務め、オリンピック史やスポーツにおけるジェンダー問題を専門とする。研究者のアカデミックな観点から考える、「スポーツが人を育てること」とは。(取材・構成=長島 恭子)
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私はオリンピックを通して、スポーツと人権について考え続けています。そのなかで常に思考してきたことは、なぜ、女性のやりたいと思うことが出来ないのか? 自分が自分らしくいられる状態のなかで、スポーツはそばにあるのか? ということです。
誰もが平等に参加し、公平に競い合う。これがスポーツの原則です。スポーツ界は誰も排除することなく、その人がありのままで関われる世界を目指しています。
その変遷をジェンダー平等や女性参加という視点からみると、奇しくもオリンピックの「パリ大会」はポイントになります。今回のパリ大会では、史上初めて選手の出場枠が男女同数になりました。そして女性が初めてオリンピックに参加したのは、1900年のパリ大会。その後1924年、オリンピック憲章に女性の参加を認める文章が入ります。
現在であれば、LGBTQ+の問題です。トランスジェンダー選手の参加基準についてはまさに今、国内外の競技団体の間で模索されています。また、選手たちは過去の何倍ものスピードで、LGBTQ+をカミングアウトし、性の多様性を訴えています。
今後、協議・検討を重ね、熟成した先に、平等の新しいカタチが出来ていくでしょう。
全ての人が参加できる世界にしようと、スポーツ界は今日に至るまで、その時代、時代でルールの見直しを行い、変化させてきました。
しかし、その度に「公平、平等のはずがそうではなかった!」と気づかされてもきたのです。
スポーツは共通のルールのもと、行われます。ということは、参加することの出来ない人も明確になりやすいですよね。誰かが傷ついてからでないと気がつけないのが、人間の想像力の欠如であり残念な点ではありますが、私はスポーツは「私は傷ついているよ」と知らせてくれる、一つの形でもあるのだと考えます。
スポーツにおける公正さの基準は恐らく、今後も変わり続けます。しかし、結果的には「伝統的にはそうだけれど、これが私たちの時代のスポーツだよね」と、より良いものにしていくのだろうと思うのです。