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「日本は柔道着を送ってくれた」 漢字を学び、寿司を愛し…五輪で誓う18歳フィジー留学生の恩返し

12歳で初来日した頃のジェラード。まだあどけなさが残る少年だった(右から2人目)【写真:ナウルコーチ提供】
12歳で初来日した頃のジェラード。まだあどけなさが残る少年だった(右から2人目)【写真:ナウルコーチ提供】

日本の高校に進学、「漢字」に戸惑いもコーチと二人三脚で乗り越えた壁

 観光ビザの有効期間である3か月間、柔道漬けの日々を過ごしたジェラードは、その後も日本への短期修行を繰り返すと、中学卒業と同時に来日を決意。“フィジーで柔道を普及させるために留学させたい”というフィジー側の意向もあり、ジェラードは受け入れ先となった流経大柏高で、本格的に技術を習得していく。

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 生活面で最も困ったのは言葉の問題だった。フィジーでは英語とフィジー語を使っていた。「最初の2週間くらいはめっちゃ大変。日本語とか漢字が全然分からない」。寮生活を通じて次第になじみ、「3か月くらいで大丈夫だと思った」と適応。柔道もメキメキと実力をつけ、高校3年生でインターハイに出場。そして流経大に進学し、1年生にして五輪切符をつかみ取った。

 日本で二人三脚で指導してくれたのは、フィジー出身で五輪2大会出場のナウル・ジョサテキ・ナキディ流経大コーチだ。「自分が練習をやりたくない時、頑張れと言ってくれる」と常に励ましてくれた。ナウルコーチは、「日本語を覚える、学校に慣れる。いろいろ大変なことがあった。高校3年の時、インターハイに出たのがターニングポイント。去年の11月から今年6月まで、海外遠征があるたびに1人で行って、そこで成長した。国際大会で戦える自信になった」と愛弟子の成長に目を細める。

 初出場のパリ五輪では、「テディ・リネールとやってみたいですね。普通にかっこいいと思います」と意気込むジェラード。その胸には、家族や恩師はもちろん、柔道を通じて支えてくれた日本への感謝がこみ上げている。

 6歳で柔道を始めた時、袖を通した柔道着は日本から贈られたものだった。

「日本はフィジーに柔道着を送ってくれた。小さい頃は考えなかったけれど、今はこんなにお金がかかることだと気づいた。高校、大学、OBの方、いろいろな人がサポートしてくれた。恩返しできるように頑張ります」

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