五輪競泳で“溺れかけ”ながら完泳 世界最遅のスイマーが英雄に 政府も動かした感動の100m【オリンピック名珍場面】
パリ五輪は連日熱戦が繰り広げられている。夏季大会は1896年に第1回大会が開催され、今回で33回目。記憶に残る名場面、珍場面も数多く生まれてきた。4年に一度のこの機会に、過去の出来事を「オリンピック名珍場面」として振り返る。2000年シドニー大会では、たった8か月の練習で水泳男子100メートル自由形に出場した赤道ギニアのエリック・ムサンバニが不格好ながらも懸命の泳ぎで何とかゴール。今も残る“世界最遅”の記録を作った。観客から大喝采を浴びて五輪精神を体現した。
夏季五輪で起こった名珍場面を回顧
パリ五輪は連日熱戦が繰り広げられている。夏季大会は1896年に第1回大会が開催され、今回で33回目。記憶に残る名場面、珍場面も数多く生まれてきた。4年に一度のこの機会に、過去の出来事を「オリンピック名珍場面」として振り返る。2000年シドニー大会では、たった8か月の練習で水泳男子100メートル自由形に出場した赤道ギニアのエリック・ムサンバニが不格好ながらも懸命の泳ぎで何とかゴール。今も残る“世界最遅”の記録を作った。観客から大喝采を浴びて五輪精神を体現した。
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赤道ギニアからやってきた史上最遅のスイマーが英雄になった。競泳男子100メートル自由形予選第1組。スタート台に上がったのは3人だった。いずれも五輪参加標準記録を満たしていないものの、各加盟国・地域に男女1人ずつ与えられる特別枠“ワイルドカード”での出場。だが、ニジェールとタジキスタンの選手は「レディ」の声で飛び込んでしまい、フライングで失格となってしまった。
ただ一人残ったムサンバニだけが泳ぐ形に。仕切り直しで勢いよく飛び込むと、まずまずのスピードで進んだ。しかし腕も脚もバタバタで、なかなか進まない。50メートルのターンを終えると、溺れる寸前のような形で、途中で止まりそうになった。それでもスタンドの大歓声を受けて必死に泳ぎ切り、何とかゴール。記録は1分52秒72。後に行われた同種目決勝の優勝タイム48秒30からは1分以上も遅かった。
ムサンバニはもともとがバスケットボールの選手。ワイルドカードの出場での依頼を打診され、練習を始めたのは約8か月前だった。しかも50メートルのプールで泳いだのはこれが初めて。だが、世界に感動を与えた泳ぎの反響は大きく、赤道ギニアでは水泳ブームが生まれ、政府は競泳用のプールも建設した。周囲の環境を一変させた「ビリの英雄」は間違いなくその名を歴史に刻んだ。
(THE ANSWER編集部)