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フランスはなぜ柔道大国になったのか 普及の裏に一人の日本人…「これが柔道なのか」衝撃だった稽古初日

2019年、講道館寒稽古で上村春樹講道館長(左)と並んで撮影された1枚【写真:講道館提供】
2019年、講道館寒稽古で上村春樹講道館長(左)と並んで撮影された1枚【写真:講道館提供】

最大の功績は審判用語の統一「どうだい、日本語でやってみたら?」

 安部の柔道に置き換えられた川石メソッドは、やがて姿を消していく。「だから川石さんが略式の柔道を教えたというのを批判する人もいるんですけども、最初はしょうがなかったんですよね。難しいこと言っても離れていっちゃったらしょうがないから、まず形を覚えさせようということで」と、津村氏は付け加えた。

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 その後、安部は国際大会の審判用語を「一本」「技あり」などの「日本語」に統一するという大仕事を果たす。当時は大会ごとに主催する国の母国語が使われていた(英語なら「一本」は「フルポイント」などと訳された)。

「技術顧問になって、ヨーロッパ柔道選手権の運営の助言をしていたわけなんですけども、1回目がロンドン。2回目、3回目はパリで行われた。1回目は英語でやって、2回目、3回目はフランス語で審判をやったんですね。4回目をベルギーのブリュッセルでやることになって、その時にヨーロッパ柔道連盟の技術会議で、次の4回目の審判用語を何語にしようかってことで揉めたんだそうです。英語とフランス語の真っ向対立で。真っ向から対立してみんなで言い合っている時に、安部先生は『しめた』と思ったというんですよね」

 丁々発止の綱引きを見て、安部は提案する。

「『英語とフランス語で揉めるくらいだったら、今回はどうだい、日本語でやってみたら?』というふうにアドバイスしたんです」

 以後、柔道の大会の審判用語は、日本語が使用されることになった。

 1950年代にフランスで起きていた柔道ブーム。そこに安部が与えた影響について津村氏は、こう結論づける。

「本物を見せたということでしょうね。これまでフランスで名を馳せた選手。古く言えば、アンジェロ・パリジ(1980年モスクワ五輪金メダル)。それから、ジャンルック・ルージェ(フランス柔道連盟前会長)とかですね。そのあたりの人たちは柔道がすごくきれいですよね。やっぱり芸術の国ですからね。美を追求する、エステティックさを追求するっていう気持ちは高いんじゃないですか、フランスの人たちは。そこに影響を与えたのが、安部先生だと思いますね」

 フランスの競技人口は53万人。黒帯を取得した柔道家は累計20万人を数える。安部が普及に心血を注いだ美しい柔道は、100年ぶりの開催となったパリ大会で、脈々と受け継がれていることを実証している。

■安部一郎(あべ・いちろう)

 1922年11月12日、秋田県生まれ。群馬県立前橋中学校で柔道を始める。東京高等師範学校を卒業し、講道館秘書課、大阪での教職を経て51年渡仏。55年、欧州柔道連盟技術顧問に就任。69年帰国。元講道館国際部長、全日本柔道連盟理事、日本オリンピック委員会委員。2006年、十段に昇段。22年2月逝去。得意技はまわり込みの払い腰。安部の功績を称え、今年3月に群馬県前橋市で「第1回 安部一郎十段杯争奪 中学柔道大会」が開催された。

(THE ANSWER編集部 / クロスメディアチーム)

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