尾崎将司さんの最期「つらかった。涙がポロポロ出た」 盟友キャディーが交わした“初めての握手”
昨年12月23日に78歳で死去したプロゴルファー・尾崎将司(本名・尾崎正司)さんのお別れの会が16日、東京・帝国ホテルで行われた。約1000人が参列。祭壇には、尾崎さんがプロ通算113勝目、ツアー通算94勝目で最後の優勝になった2002年全日空オープン(現ANAオープン)での写真が飾られ、富士山とゴルフ場をイメージした花で彩られた。ライバルだった青木功、エースキャディーだった佐野木一志さん、長男の智春さんが弔辞を読み、故人とゆかりのあった人物が取材に応じた。

東京・帝国ホテルでお別れの会開催 約1000人参列
昨年12月23日に78歳で死去したプロゴルファー・尾崎将司(本名・尾崎正司)さんのお別れの会が16日、東京・帝国ホテルで行われた。約1000人が参列。祭壇には、尾崎さんがプロ通算113勝目、ツアー通算94勝目で最後の優勝になった2002年全日空オープン(現ANAオープン)での写真が飾られ、富士山とゴルフ場をイメージした花で彩られた。ライバルだった青木功、エースキャディーだった佐野木一志さん、長男の智春さんが弔辞を読み、故人とゆかりのあった人物が取材に応じた。
佐野木さんは、青木に続いて弔辞を読んだ。
「ジャン兄、この会場が見えますか。一人ひとりの顔を見て、はにかんでないですか。すごいメンバーですよ。今日、この景色を見て、あなたが昭和、平成を駆け抜けた、とてつもなく偉大なゴルファーだったとあらためて実感しています」
尾崎さんとは、同じ徳島県宍喰町(現海陽町)で生まれた一学年違いの先輩後輩の関係。海南高ではともに野球部で、1964年春のセンバツ大会では初出場初優勝に貢献した。1976年の広島オープンから尾崎さんのキャディーを務め、最後の優勝となった2002年の全日空オープンでもバッグを担いだ。弔辞ではその特別な関係性を振り返り、こう呼びかけた。
「12月23日、天国行きのジャンボ機で、紫色の飛行機雲を残して、旅立った先輩。今何をしていますか。もう、クラブを握っていますか。そっちのゴルフコースはあなた好みですか。私が行くまでの間、すみませんが、セルフカートで待っていてください」
献花後は取材に対応。昨年12月中旬、千葉県にある尾崎さんの自宅を訪れ、「最後の会話」を交わした時のことを「つらかった」と振り返った。
それでも、がんの闘病で70キロ台までやせた尾崎さんを前に「ジャン兄、ダイエットに成功しとんね」と声をかけたという。
「初日はけっこう田舎の話なんかして盛り上がって、『俺みたいないい人生ないだろ。何の悔いもない』と言っていました」
一方で、2日目は尾崎さんの声がかすれ、話が途切れると、目をつぶるようになったという。
少年時代から2人でテンポ良く話していただけに、経験したことのなかった「空白の時間」が「ものすごく長く感じた」という。
そして、「向こうに行っても、また(キャディーバッグを)担ぐからね」と伝えると、尾崎さんは手を差し出し、握手を求めてきたという。
「今までジャンボと握手したことがなかった。優勝してもハイタッチだけで簡単に終わっていたのに、手を出してきて、つらかった。涙がポロポロ出ましたね」
そんな尾崎さんに、あえて「もう少し頑張って」とは言わず、「じゃあ」と言って背を向けて尾崎さんとお別れした佐野木さん。その日のことを回顧しながら、目には涙がにじんでいた。
(柳田 通斉 / Michinari Yanagida)
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