日本の金呼んだ“裏方25人”の命がけ成功、成功、成功…意地のジャンプが繋いだオリンピック名場面【1998長野五輪】
日本で冬季五輪の名場面として語り継がれているのが、1998年の長野五輪、スキージャンプ団体の逆転金メダルだ。原田雅彦のジャンプや、優勝を決めた船木和喜に選手が駆け寄る場面が印象深いが、その裏では五輪出場を逃し、裏方に回った男の大奮闘があった。のちに映画化もされている。

1998年長野五輪ジャンプ団体、逆転金メダルの裏にあった物語
日本で冬季五輪の名場面として語り継がれているのが、1998年の長野五輪、スキージャンプ団体の逆転金メダルだ。原田雅彦のジャンプや、優勝を決めた船木和喜に選手が駆け寄る場面が印象深いが、その裏では五輪出場を逃し、裏方に回った男の大奮闘があった。のちに映画化もされている。
地元開催の五輪で、日本ジャンプ陣の勢いは目覚ましかった。2月15日に行われた個人ラージヒルで船木が金、29歳の原田雅彦が銅。ただ17日の団体ラージヒルは激しい降雪の中で行われ、滑走スピードが上がらない。日本は1回目、3番手の原田が79.5メートルに終わり、4位と出遅れた。雪はますます強くなり、1回目での打ち切りが現実味を帯びてきた。そうなると日本は金どころか、メダルを逃すことになる。
積雪で滑らない助走路、視界も降雪でさえぎられる中で命がけのジャンプに挑んだのが25人のテストジャンパー(フォージャンパー)たちだった。全員が成功できれば、競技が続行できる環境と判断されることになる。この中にいたのが、4年前のリレハンメル五輪で団体銀メダルの一員だった西方仁也だ。原田とは同学年で、所属の雪印や日本代表を共に引っ張った選手だ。
このシーズンは腰の故障で出遅れ、五輪代表を逃していた。日本の命運がかかった状況でゲートに向かうと、過酷な状況でK点越えの123メートル。意地のジャンプを見せると競技再開のアナウンスがかかった。
日本の2回目は、2番手の斎藤浩哉が124メートルを記録し1位に再浮上。再び原田の番が回ってきた。西方とともに出場したリレハンメル大会では団体戦の2回目、目の前にあった金メダルを逃す大失敗ジャンプに終わっていた。それがここでは、真骨頂とも言える137メートルの大ジャンプ。続く船木を祈るような目で見守り「ふなきぃ~」と嗚咽のように漏らした。
船木はその中で125メートル。電光掲示板の一番上に「JPN」と出ると、船木に3人が駆け寄り、そのまま雪の上に折り重なった。日本は合計933.0点。2位のドイツに35.6点の差をつけていた。
(THE ANSWER編集部)
![[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト](https://the-ans.jp/wp-content/themes/the-answer-pc-v2/common/img/logo_c1.png)








