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159.9点差ぶっちぎり最下位 まるで黎明期、史上“最弱ジャンパー”が残した強烈インパクト【1998カルガリー五輪】

ミラノ・コルティナ五輪は現地6日、遂に開幕。冬季は1924年に第1回大会が開催され、今回で25回目。4年に一度の夢舞台で過去に起きた様々な出来事を振り返る。1988年のカルガリー五輪には、一躍時の人となった“最弱”のスキージャンプ選手がいた。個人70メートル級(ノーマルヒル)、90メートル級(ラージヒル)ともに最下位に終わったマイケル・エドワーズ(英国)だ。

カルガリー五輪に出場したマイケル・エドワーズ(1988年撮影)【写真:PA Images/アフロ】
カルガリー五輪に出場したマイケル・エドワーズ(1988年撮影)【写真:PA Images/アフロ】

1988年カルガリー五輪、分厚い眼鏡のジャンプ選手が時の人に

 ミラノ・コルティナ五輪は現地6日、遂に開幕。冬季は1924年に第1回大会が開催され、今回で25回目。4年に一度の夢舞台で過去に起きた様々な出来事を振り返る。1988年のカルガリー五輪には、一躍時の人となった“最弱”のスキージャンプ選手がいた。個人70メートル級(ノーマルヒル)、90メートル級(ラージヒル)ともに最下位に終わったマイケル・エドワーズ(英国)だ。

「エディー・ジ・イーグル」の愛称で親しまれた男は、実力よりもその不屈の精神で世界中のファンの心をつかんだ。

 白黒映像に残る黎明期のジャンプ選手のように、少しでも前に飛ぼうと両手をぐるぐる回した。エドワーズは英国人初の五輪ジャンパーだ。2月14日に行われた70メートル級では、1本目も2本目も55メートル、計69.2点で出場58選手中最下位。優勝した鳥人マッチ・ニッカネン(フィンランド)が89.5メートルを2本そろえて229.1点で、実に159.9点差。57位の選手が140.4点だから大差負けもいいところだ。

 23日の90メートル級でもニッカネンが2冠を成し遂げる中で最下位となった。それでも五輪会場ではどこに行っても大人気。大会で最も注目された選手といってよかった。

 エドワーズは五輪への夢をどうしても実現させたい少年だった。最初はアルペンスキーを志したが実績が伴わず挫折。目を付けたのが、英国で盛んではないジャンプだった。技術を一から身につけ、1987年2月には世界選手権に出場するなどしてカルガリー大会代表の座をつかむ。現地入りすると、トレードマークの分厚い眼鏡とピンク色のゴーグルという姿で、ファンの心をつかんだ。

 閉会式では大会組織委員長が「中には鷲のように舞い上がった選手もいる」とエドワーズの挑戦をたたえた。一方で本人は「ダチョウに近かったかもしれない」とユーモアたっぷりに答えたという。ただエドワーズに次の五輪はなかった。国際スキー連盟はその後、五輪出場には「国際大会で上位30パーセント以内、あるいは上位50名以内、いずれかの成績を収める必要がある」という規則をつくり、これは「エディ・エドワーズ・ルール」と呼ばれた。

 エドワーズは大会から20年が経った2008年、英公共放送「BBC」のインタビューに応じ「今は44歳だけど、昨日のことのように覚えているよ」と回想した。24歳で出場した五輪。「カルガリーに行く2週間前まで、自分に見向きもしなかった美しい女性たちからの注目もすごかった。驚くべきことだったよ」と当時の熱狂を振り返った。

 五輪後には華やかな世界も経験したといい「レコードを出したり、ナイトクラブをオープンしたり……。世界中でテレビやラジオの仕事をした」と、五輪前の左官工から一変、プライベート機やヘリコプターで移動する日々を送っていたという。記事では「自分が一生できないと思っていたことを、私はやったんだ」と、唯一無二のキャリアを肯定的にとらえている。2016年にはその半生を伝える映画「イーグル・ジャンプ」が全世界で公開され話題となった。

(THE ANSWER編集部)



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