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スポーツ界に訃報続く2025年 長嶋茂雄、釜本邦茂、ジャンボ尾崎…“昭和100年”に時代の変わり目

2025年は“昭和100年”としても話題になった。この年に昭和のスポーツ界をけん引したレジェンドの訃報が相次ぎ、一つの時代の終わりを感じさせている。

“ジャンボ”の愛称で親しまれた尾崎将司氏【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
“ジャンボ”の愛称で親しまれた尾崎将司氏【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

昭和のスポーツ界を沸かせたレジェンドが鬼籍に

 2025年は“昭和100年”としても話題になった。この年に昭和のスポーツ界をけん引したレジェンドの訃報が相次ぎ、一つの時代の終わりを感じさせている。

 年末になって飛び込んできたのが、プロゴルファーのジャンボ尾崎こと尾崎将司さんの訃報だ。12月23日に、S状結腸がんのため亡くなった。約1年前に診断された後、本人の強い意志により自宅療養を続けていた。

 徳島出身で、1965年にプロ野球の西鉄入りしたものの3年でゴルフに転向。71年に日本プロ選手権で初優勝を収めると一気に飛躍。ツアー制が導入された73年には初代賞金王に輝いた。青木功、中嶋常幸とともに「AON」時代を築くなど、長らく日本の男子ゴルフ界をけん引してきた。男子国内ツアー最多となる通算94勝を挙げている。

 6月3日には昭和のプロ野球人気の象徴だった長嶋茂雄さんが89歳で亡くなった。巨人の9年連続日本一の原動力となり「ミスタープロ野球」とまで呼ばれた存在。プロ野球が国内最高の人気スポーツとなる礎を築いた。

 立大から58年に巨人入りし、74年に現役引退するまでプロ通算17年で2186試合に出場。通算打率.305、444本塁打、1522打点を残した。記憶に残るプレーを連発しファンを魅了。王貞治氏(ソフトバンク会長)との「ON」コンビでも沸かせた。その後は2度にわたって巨人の監督を務め、日本代表監督にも就いた。

 8月10日には、68年のメキシコ五輪で日本代表として、男子サッカーの銅メダル獲得に貢献した釜本邦茂さんが81歳で死去した。

 早大時代に日本代表デビューし、64年の東京五輪にも出場。67年には日本リーグのヤンマーに入団した。メキシコ五輪では7得点で得点王に輝き、日本男子サッカー史上唯一の五輪メダルに貢献した。日本リーグでも、84年に現役引退するまで記録した通算202ゴールは最多。7度の得点王に輝いた。引退後はガンバ大阪の監督や、参院議員も務めた。

(THE ANSWER編集部)



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