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“ジャンボ尾崎”死去、米国も敬意「カリスマ性で人気高めた」 驚きの逸話報道「スシ職人を…」

プロゴルファーのジャンボ尾崎こと尾崎将司さんが23日、S状結腸がんのため亡くなった。78歳だった。約1年前に診断された後、本人の強い意志により自宅療養を続けていた。尾崎さんは海外を含め、プロとして通算113勝を挙げたゴルフ界のレジェンド。海外メディアからも惜しむ声が多数上がった。

ジャンボの愛称で親しまれた尾崎将司氏(2022年2月撮影)【写真:産経新聞社】
ジャンボの愛称で親しまれた尾崎将司氏(2022年2月撮影)【写真:産経新聞社】

23日にがんのため死去…海外からも惜しむ声

 プロゴルファーのジャンボ尾崎こと尾崎将司さんが23日、S状結腸がんのため亡くなった。78歳だった。約1年前に診断された後、本人の強い意志により自宅療養を続けていた。尾崎さんは海外を含め、プロとして通算113勝を挙げたゴルフ界のレジェンド。海外メディアからも惜しむ声が多数上がった。

 米PGAツアーは「日本ゴルフ界で歴代最多勝利を挙げたプロゴルファー、マサシ“ジャンボ”オザキが78歳で死去」という記事を掲載。「オザキの活躍は、主に日本国内でプレーして勝利を収めていたため、世界の舞台ではあまり知られていなかったかもしれない。しかし国内では伝説的な存在感を放つ人物であり、攻めの姿勢を貫く豪快なプレースタイルとカリスマ性によって、ゴルフという競技、そしてJGTO(日本ゴルフツアー機構)の人気を再び高めた立役者として広く評価されている」と評した。

 また米専門誌「ゴルフダイジェスト」も「日本最高のゴルファーと称されたジャンボ・オザキががんで死去」という記事を掲載。「オザキは日本ゴルフツアーで通算94勝という記録を打ち立て、ツアーの賞金ランキングでも12回トップに立った(51歳の時も含む)」と日本での突き抜けた業績を紹介した。

 さらに「アメリカでは優勝こそなかったものの、マスターズには19回出場(1973年の8位タイが最高成績)、全米オープンには13回出場(1989年の6位タイが最高成績)している。また1996年のプレジデンツカップではインターナショナルチームの一員として出場した」と米国での成績を報道。2011年に世界ゴルフ殿堂入りしたことも伝えた。

 同じく米国の専門誌「ゴルフウィーク」も「日本の伝説的スター、マサシ“ジャンボ”オザキが78歳で死去」という記事で「オザキは日本国外ではあまりプレーせず、PGAツアーの出場は通算96試合にとどまった。最高成績は1993年のメモリアルでの4位タイである。また、マスターズでトップ10入りを果たした初の日本人選手でもあった」と紹介。

 さらに「海外遠征の際は、オザキは通常、家を借りてスシ職人を同行させ、自身と周りの人が快適に過ごせるようにしていた」と驚きのエピソードも明かした。

 尾崎さんは徳島出身で、1965年にプロ野球の西鉄入りしたものの3年でゴルフに転向。71年に日本プロ選手権で初優勝を収めると一気に飛躍。ツアー制が導入された73年には初代賞金王に輝いた。青木功、中嶋常幸とともに「AON」時代を築くなど、長らく日本の男子ゴルフ界をけん引した。

(THE ANSWER編集部)



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