[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

ドラ1も入団交渉を拒否…まさかの解決案に発展 突かれた野球協約の盲点 “身代わり”はエース【ドラフト事件簿】

プロ野球のドラフト会議が23日に行われる。1965年の第1回以来、約60年の歴史では数々のドラマや事件が起きた。その中でも社会を巻き込む大騒動となったのが1978年の「江川事件」だ。前年、クラウンライター(現西武)の1位指名を拒否していた江川卓投手を、ルールの文言にあった盲点を突いた巨人が獲得したと発表。大騒動の解決策として選ばれたのは、直後のドラフト会議で1位指名した阪神に、エースの小林繁投手を“身代わり”として移籍させることだった。

クラウンライター(現西武)の1位指名を拒否していた江川卓【写真:産経新聞社】
クラウンライター(現西武)の1位指名を拒否していた江川卓【写真:産経新聞社】

怪物・江川卓が希望の巨人入りを果たすまで

 プロ野球のドラフト会議が23日に行われる。1965年の第1回以来、約60年の歴史では数々のドラマや事件が起きた。その中でも社会を巻き込む大騒動となったのが1978年の「江川事件」だ。前年、クラウンライター(現西武)の1位指名を拒否していた江川卓投手を、ルールの文言にあった盲点を突いた巨人が獲得したと発表。大騒動の解決策として選ばれたのは、直後のドラフト会議で1位指名した阪神に、エースの小林繁投手を“身代わり”として移籍させることだった。

 江川は作新学院高(栃木)時代から剛速球で鳴らした右腕。1973年のドラフト会議では阪急の1位指名を受けたものの拒否し、法大へ進んだ。東京六大学リーグでも通算47勝を挙げ、1977年のドラフト会議ではクラウンライターの1位指名を受けた。ただここでも入団を拒否し、米国に渡って浪人する道を選んだ。

 当時の野球協約は、ドラフトでの指名権は翌年の会議の前々日まで有効と定めていた。会議への移動などを考慮したためだ。ただ逆に見れば、ドラフト前日の江川は契約に関して自由な身分だとも解釈できた。ここを巨人が突き、1978年のドラフト会議の前日、11月21日に江川と契約したと発表。ただ連盟はこの契約を却下し、巨人はドラフト会議をボイコットした。

 11球団で開催されたドラフトでは、南海、阪神、ロッテ、近鉄が江川を1位指名。抽選の結果阪神が交渉権を獲得した。江川側は入団交渉を拒否していたが、12月になって当時のコミッショナーが阪神の江川との交渉権を認める一方で、阪神には一度契約した江川をすぐに巨人へトレードする形での解決を望むとする声明を発表。交渉の結果、巨人は3年連続で2ケタ勝利していた小林を阪神にトレードすると決定。1月31日に、キャンプ地宮崎への移動に備えていた本人に通告した。

 小林は阪神への移籍を受け入れ、この1979年は22勝9敗、防御率2.89と自己最高の成績を収めた。特に巨人戦には8連勝と無類の強さを見せた。1983年まで現役を続け、通算で139勝95敗17セーブ、防御率3.18の成績を残している。

(THE ANSWER編集部)


CW-X

CW-X

W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
CW-X CW-X
lawsonticket
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集