イチロー氏が成し遂げたもう一つの偉業「あそこにまでなるんですよね…」 “51”の先輩・福良淳一氏が賛辞「天才は努力する」
米大リーグで通算3089安打を放ち、日本人初の米野球殿堂入りを果たしたイチロー氏(マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)に、日本でスターになるまでの過程を知る人物からの賛辞が届いた。「あそこにまでなるんですよね。『51』が」と、2人がともに背負った背番号を日米で“代名詞”にしたことに驚いている。

オリックスの福良淳一GMは背番号「51」の先輩
米大リーグで通算3089安打を放ち、日本人初の米野球殿堂入りを果たしたイチロー氏(マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)に、日本でスターになるまでの過程を知る人物からの賛辞が届いた。「あそこにまでなるんですよね。『51』が」と、2人がともに背負った背番号を日米で“代名詞”にしたことに驚いている。
大リーグ公式YouTubeが「イチロー氏 アメリカ野球殿堂入り記念特別映像:51 Witnesses of Greatness」と題して公開した動画に登場したのは、オリックス時代に1、2番コンビを組んだ福良淳一氏(現オリックスGM)だ。
イチロー氏がオリックスで1軍に定着した1994年や、リーグ優勝した翌95年、福良氏は「1番・イチロー」の後の2番打者が定位置だった。「天才という言葉で片づけるわけにはいかないと思うんですけど、天才は努力するというか、継続というのがイチローには合ってると思うんですね」と、当時の姿を振り返る。
さらに「あそこまでなるんですよね。『51』が。自分の事よりも、イチローの番号ですからね。『51』っていうのは」「やっぱりうれしいですよ。自分もプロに入った時は『51』だっただけに」と感慨深げに口にした。
イチロー氏と並んで活躍した当時の福良氏は背番号『1』だったが、オリックスがまだ阪急ブレーブスだった1987年までは『51』をつけていた。若い背番号こそレギュラーという考え方が今よりも強かった時代。51番で活躍を続け、自身の“代名詞”にした後輩の偉業を称えていた。
(THE ANSWER編集部)
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