バド桃田賢斗、交通事故に「なんで自分なんだ」と葛藤 代表引退決断の裏側「事故のせいにしたくなかった」【会見全文】
「自分の思い描いているプレーとの差が自分にとって一番しんどかった」
――ホッとした表情にも見える。事故の後に思うプレーができなかったとのことだが、ここまで続けてこられた理由は。
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「そうですね……苦しい……う~ん、自分の思い描いているプレーとできることの差、その差が自分にとって一番しんどかった部分でしたけど、本当にいろんな人のおかげでサポート、メッセージをくれた人だったり、そういう人のおかげで何回もくじけそうなところで続けてこられた。自分の一番バドミントンが好きという気持ちが続けてこられた気持ちかなと思います」
――パリ五輪レースの前に東京五輪について「もう一度あのコートに立ちたい」と言っていた。東京五輪はどんな舞台だったか。
「今思い返しても悔しい想いしかない。凄い攻撃的な相手に対して気持ちが引いてしまい、そこに対して自分の気持ちの準備ができていなかった。だけど、子どもの時から憧れた五輪の舞台に立てたことは凄くいい経験だと思う」
――トマス杯でどんなプレーを見せたいか。
「最近は自分の結果と応援が合わないくらいたくさんの人に応援していただけていて、本当に嬉しい限り。本当に自分の集大成なので貪欲にコートの中を動き回りたい。泥臭いプレーを見ていただけたら」
――パリ五輪に向けて選考レースはどんな気持ちで戦っていたか。
「奈良岡選手、西本選手が出だしから点数を稼ぐ中、自分は腰の怪我などで始めから厳しい状況だったけど、試合に出させていただける限りは自分を出し切ろうと思っていた。結果に繋がらなかったのは凄く悔しいけど、後悔はないので。出場できる2人はできなかった人たちの分まで頑張ってほしい」
――ファンも大勢いる。特に地元・香川の方々へ。
「自分の試合結果をニュースで報じていただけるのは、香川県出身として嬉しかったし、心の支えにもなっていました。国際大会に出ない決断は少し申し訳ない気持ちですが、これからも違う形で国内のバドミントンに貢献していきたいと思っているので、楽しみにしていただけたら」
――代表引退を決断した時期、何かきっかけになる出来事があったのか。
「正直、事故があってからずっと厳しいかなと感じていた。そのためにいろんな人に声を掛けていただいてまた頑張ろうと思ってトライして、また厳しいかなって何回も何回もあったその繰り返しの中で、この前のアジア団体に参加させていただいて、もう自分の中で今、日本代表引退を決断しても後悔することはないと思ったのが一番。今後についてはチームには所属しているので、必要とされる場面が来ればその時のために準備してしっかりチームに貢献したい」
――輝かしい成績を改めて振り返ってみて。
「僕自身もビックリするくらいの結果を出すことができたと思う。特に僕なりにバドミントンがどう上手くなれるか、強くなれるか追及していく中で運も味方してくれてこういう結果を出せたと思う。本当に周りの人たちに恵まれた。チームもそうですし、環境を作ってくださる方もそう。その人たちに感謝したい」
――右目、腰の怪我の間は苦しい時間が長かった。成長させてもらえた部分は。
「本当に僕はバドミントンを感覚でやるタイプ。なんでこうなるのか、なんで今のショットを打てるのか、言葉で説明することができなかった。一回できなくなって、どうやってやっていたのか考えるようになって言葉で説明できるように少しはなかった。今後、バドミントンを伝えていく中で、感じたことを言葉で次の世代の人たちに伝えていきたい」
――怪我をしても、技術があったからここまでできたのでは。世界に誇る、これは自分にしかできないと思うものは。
「凄い難しい質問(笑)。なんで……そうですね、やっぱり一言でいうと凄いごまかしながら上手いように見せる戦い方。正直、自分でも弱点を理解しているつもりだし、それを見せない戦い方が少し上手だっただけかなと」
――怪我をどう克服してここまで来たのか、怪我があっても世界で戦えた理由は。
「シャトルコントロールとスタミナだと思います。良い感じにかみ合って結果を残せたんじゃないかなと思います」