世界を震撼させた怪物FWロナウドの今 W杯15得点、奇抜な“大五郎カット”でも話題に
サッカーのカタール・ワールドカップ(W杯)は、連日熱戦が繰り広げられている。なかには「4年に一度のW杯だけは観ている」あるいは「昔はよく見ていたけど、最近は…」という人もいるだろう。そんなファン向けにかつてW杯に出場し、話題になった海外選手をプレーバック。懐かしい“あの人”の今をお届けする。今回はブラジル代表としてW杯に4度出場し歴代2位となる通算15得点をマーク、2002年日韓大会優勝の立役者となったFWロナウドだ。
【サッカーW杯 あの海外選手は今】02年日韓大会 ブラジル代表FWロナウド
サッカーのカタール・ワールドカップ(W杯)は、連日熱戦が繰り広げられている。なかには「4年に一度のW杯だけは観ている」あるいは「昔はよく見ていたけど、最近は…」という人もいるだろう。そんなファン向けにかつてW杯に出場し、話題になった海外選手をプレーバック。懐かしい“あの人”の今をお届けする。今回はブラジル代表としてW杯に4度出場し歴代2位となる通算15得点をマーク、2002年日韓大会優勝の立役者となったFWロナウドだ。
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爆発的なスピードと卓越したテクニックを武器に、1990年代半ばにサッカー王国ブラジルから現れたストライカーは、“フェノーメノ”(怪物)の異名で知られ、数々の伝説を残してきた。94年にオランダのPSVに移籍してゴールを量産すると、96年夏にはブラジル五輪代表の一員としてアトランタ五輪に参戦。「マイアミの奇跡」として知られる日本戦(0-1で敗戦)にも途中出場している。
大会後スペインの名門バルセロナに移籍すると、いきなり37試合34得点と大暴れし、リーガ・エスパニョーラ得点王を獲得。97年にはバロンドール(世界年間最優秀選手賞)を受賞、98年フランスW杯では4ゴールを奪って母国を準優勝に導いた。
順風満帆なキャリアを歩んでいたが、99年に当時所属していたインテルの試合で膝の大怪我に見舞われ、長いリハビリ生活に。再発する苦難も乗り越えながら、ようやく戦列に復帰して迎えたのが、ブラジル代表のエースとして臨んだ自身3度目となる2002年の日韓W杯だった。
グループリーグ初戦から4試合連続5ゴールを奪って完全復活を印象付けると、準決勝のトルコ戦(1-0)では絶妙な“つま先弾”を披露。そして決勝ではドイツの守護神オリバー・カーンの牙城を破る2ゴールで、ブラジルを5度目の世界一に導くとともに、自身も8ゴールで大会得点王を獲得した。また準決勝からは、前頭部にのみ三角形の髪を残す奇抜なヘアスタイルで登場。日本では時代劇『子連れ狼』の登場人物の名前から「大五郎カット」と呼ばれ、大きな話題となった。
その後はレアル・マドリードで“銀河系軍団”の一員として活躍。06年ドイツW杯にも出場して3ゴールを奪い、通算15得点で当時の大会最多記録を更新している。キャリア晩年は体重増加もあり、批判されることも少なくなかったが、コリンチャンスでプレーしていた11年に甲状腺に問題を抱えていたことを明かして現役を引退した。
ピッチを離れたロナウドは、元フランス代表MFジネディーヌ・ジダンとともに貧困撲滅チャリティーマッチを開催したり、14年ブラジルW杯組織委員会の理事を務めるなど自らの知名度を生かしながら多方面で活躍。18年9月にはスペインのレアル・バジャドリードの株51%を購入し、現在もリーガ1部に所属する同クラブの会長を務めている。
また21年12月には、自らがプロデビューしたブラジル2部クルゼイロの企業支配権を購入した。恰幅の良い体型とともに、すっかりクラブオーナーとしての威厳を備えているロナウド。今年10月に英紙「ガーディアン」のインタビューで指導者になる可能性について問われると、「監督をすることには全く興味がわかないよ」「サッカーは大好きだけど、コーチになるという考えはずっと嫌だった」と発言。現在46歳。サッカーを愛する1人として、今後もオーナー業に力を入れていくことになりそうだ。
(THE ANSWER編集部)