日本から「自殺点」の言葉が消えた理由 悲劇の敗退、凶弾に倒れた選手に全世界が涙【W杯事件簿】
1930年の創設から今回のカタール大会で22回目の開催となるFIFAワールドカップ(W杯)。4年に一度、世界一の称号をかけて激突する大会ではこれまで数々の事件が起こってきた。1994年米国大会ではオウンゴールを献上した選手が母国で射殺されるというショッキングな事件が発生。全世界が悲しみに暮れた。
W杯で起こった事件を振り返る
1930年の創設から今回のカタール大会で22回目の開催となるFIFAワールドカップ(W杯)。4年に一度、世界一の称号をかけて激突する大会ではこれまで数々の事件が起こってきた。1994年米国大会ではオウンゴールを献上した選手が母国で射殺されるというショッキングな事件が発生。全世界が悲しみに暮れた。
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あってはならない事件だった。1994年米国大会に出場したコロンビアはグループリーグでルーマニア、米国、スイスと対戦。初戦でルーマニアに1-3で敗れ、負ければ敗退となる2戦目の米国戦でDFアンドレス・エスコバルは前半35分に痛恨のオウンゴールを献上し、先制を許した。その後も追加点を奪われ、終了間際に1点を返すも時すでに遅し。1-2で敗れ、敗退が決まった。
3戦目のスイス戦は2-0で勝ったものの、多くの選手が帰国を恐れて米国滞在を延長。そんな中、主将のエスコバルは説明責任を感じ、帰国した。大会がまだ行われていた1994年7月2日、バーを出たところで暴漢に襲われたエスコバル。報道では、近くにいた友人の話として、暴漢が「オウンゴールをありがとう」「ゴール!」と叫びながら12発の銃弾を打ち込んだという。エスコバルは27歳の若さでこの世を去った。
後に「エスコバルの悲劇」と称されたこの事件は全世界に衝撃を与え、熱戦が続いていたW杯の試合前には黙祷も捧げられた。ちなみに、当時の日本では自軍ゴールに入れてしまうことを「自殺点」と呼んでいたが、エスコバルの悲劇を受け、1994年から「オウンゴール」に呼称を統一している。
(THE ANSWER編集部)