「お願いです、謝って下さい」 あの最終戦2日前、松田直樹を動かしたマネージャーのメール【THE ANSWER Best of 2021】
忘れられない2010年の1週間、最終戦2日前に松田さんに送ったメール
一緒に戦う中で忘れられないのは、2010年の1週間です。せっかくの機会なので、ありのままにお伝えします。
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その年はクラブの成績も低迷し、マツさんも手術の影響でシーズン序盤を欠場。復帰以降も本来のセンターバックではなくボランチで起用されるなど苦しいシーズン。そして、迎えたシーズン終盤の11月27日、アウェイのガンバ大阪戦でした。
マツさんはスタメンで出場すると、パフォーマンスがすごく良くて、「やっぱり松田直樹だな」と誰もが思うプレーを見せた。試合も勝利し、本人もすごく上機嫌で。そのまま新幹線で横浜に戻り、クラブハウスまで戻ってきた夜のこと。
バスを降りると、クラブの契約関係の担当に「マツ、ちょっといい?」と声をかけられた。クラブハウス内の部屋に入っていく姿を見て「あれ? どうしたんだろう」と。そう思っていたら、5分も経たないうちに出てきた。
なんというか、鬼の形相。誰も声をかけられず、飛び出して帰ってしまった。スポーツ新聞に「松田退団」の記事が出たのは翌日。練習場に行くと多くのサポーターが詰めかけていて、大変な1週間になると覚悟しました。
次が最終戦。マツさんにとって、マリノス最後の試合になる。でも、オフ明けから練習が始まっても、クラブハウスには来ても練習に出ない。トレーナー室にこもって「脚が痛い」「練習はやらない。最終戦は絶対出ない」と。契約非更新に納得がいかない様子で、時間だけが過ぎていく。
いよいよ、試合2日前の木曜。練習場に顔を出したら相変わらずトレーナー室のベッドに寝転んでいる。スタッフが「最後の試合だから出ろ」と言っても聞く耳を持たない。スタッフもサジを投げてしまった感じでした。
マツさんにメールを送ったのは、その夜のことです。
翌日の金曜になると、もう試合前日。帯同メンバーが決まってしまう。ファン・サポーターにたくさん愛され、僕も一番近いところから姿も見ていた。他の誰も手立てがない。報道が出た後も、たくさんのファンがマツさんを観に来てくれている。
自分も後悔したくなかった。何かできることはないか。イチかバチか。「スタッフは選手と距離を置く」なんて正義は忘れて、携帯に送りました。「個人的なメールなので、読んでも読まなくてもいいです」と。
全部は覚えてないですが、だいたいこんな内容です。
「マツさんがサポーターに愛されていることは間違いありません。
あなたほどトリコロールのユニホームが似合う人は見たことがありません。
最終戦で、最後のトリコロールを着ているマツさんを皆が見たいです。
この1週間、マツさんの気持ちを分かることはできないし、最後は監督が決めることです。
でも、謝ったら試合に出場できるチャンスがあると思うので。
お願いだから、謝ってください。謝って、試合に出てください」
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