「お願いです、謝って下さい」 あの最終戦2日前、松田直樹を動かしたマネージャーのメール【THE ANSWER Best of 2021】
東京五輪の開催で盛り上がった2021年のスポーツ界。「THE ANSWER」は多くのアスリートや関係者らを取材し、記事を配信したが、その中から特に反響を集めた人気コンテンツを厳選。「THE ANSWER the Best Stories of 2021」と題し、改めて掲載する。今回は連載「松田直樹を忘れない 天国の背番号3への手紙」から、横浜F・マリノス職員の大谷晋吾さんが送ったメッセージ。
「THE ANSWER the Best Stories of 2021」、横浜F・マリノス主務が送ったメッセージ
東京五輪の開催で盛り上がった2021年のスポーツ界。「THE ANSWER」は多くのアスリートや関係者らを取材し、記事を配信したが、その中から特に反響を集めた人気コンテンツを厳選。「THE ANSWER the Best Stories of 2021」と題し、改めて掲載する。今回は連載「松田直樹を忘れない 天国の背番号3への手紙」から、横浜F・マリノス職員の大谷晋吾さんが送ったメッセージ。
松田さんは2011年の夏、所属していた松本山雅の練習中に急性心筋梗塞で倒れ、8月4日、帰らぬ人に。34歳の若さだった。早すぎる別れから10年。松田さんが在籍当時、チーフマネージャー(主務)を務めていた大谷さんはマリノス最終戦出場を巡る知られざるエピソードを明かす。また、今回は新たにマリノス最後の練習を撮影した当時の写真も掲載する。(構成=THE ANSWER編集部・神原 英彰)
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初めて、マツさんと会った日のことをよく覚えています。
2005年。副務として採用された僕は大学卒業前、シーズンが始まる前の1月の準備から手伝っていました。自主トレに来る選手に挨拶をする日々。ある日、東戸塚のクラブハウスで後ろを振り返ると、私服姿のマツさんがいた。
「ああ、あの松田直樹だ」。今までスタジアムの遠くから見て、ピッチに立っていた人。体が大きいのに顔が小さいし、ビジュアルからして、なんてカッコいい人なんだ、と。緊張して「今年から入ることになりました。大谷です」くらいしか言えなかった。
すると、マツさんは何も言わず、しっかりと目を見て、がっしりと握手してくれた。その瞬間、一気に心を鷲掴みにされました。
最初の監督の岡田武史さんの教えで「スタッフは選手と距離を置いて仕事をすることが正義」を2~3年間は、貫きました。選手に食事に誘われても頑なに断るくらい。2007年に練習施設がマリノスタウンに移転し、僕も主務になると選手との関係性も変化していき、マツさんに対しての印象が変わりました。
とても大きくて、繊細で優しい人。これが、僕が思うマツさんでした。そう感じた思い出が2つあります。
ある日、選手が練習場に連れてきていた子供に、こう言っている姿を見ました。「お前の父ちゃん、日本で一番サッカー上手いんだぞ!」。それはどんな選手の子供にもやっていたかもしれない。でも、子供はお父さんが自慢になるし、お父さんである選手も、うれしかったと思います。
もう一つは、個人的な話で、シーズン中に祖母が亡くなった時。その当時の監督から冠婚葬祭には必ず出なさいという進言で、葬儀と試合が重なった試合に帯同しませんでした。その試合は結局負けてしまった。オフ明けの練習に「すみません。休ませてもらって、ありがとうございました」と挨拶をしていきました。
すると、マツさんは会うなり「お前がいないから、負けちゃったよ!」と明るく言ってくれて。そういう風に、年下で裏方である自分のことも気にかけてくれて、言葉で投げかけてくれる。そんな姿に、大きさと優しさと繊細さを感じたことを覚えています。