ユ・サンチョル氏死去 “日本人最後の愛弟子”が胸打たれた会話「痛くても100%で…」
サッカーJリーグの横浜F・マリノスと柏レイソルで活躍した元サッカー韓国代表の柳想鉄(ユ・サンチョル)さんが7日に死去した。現役引退後は指導者として活躍していた柳氏。2012年から13年まで韓国1部大田シチズンで指導を受けた元U-20日本代表MFの馬場憂太さんが、“日本人最後の愛弟子”として恩師の生前の思い出を振り返った。
横浜F・マリノスなどでも活躍したユ・サンチョル氏が死去
サッカーJリーグの横浜F・マリノスと柏レイソルで活躍した元韓国代表MFの柳想鉄(ユ・サンチョル)さんが7日に死去した。現役引退後は指導者として活躍していた柳氏。2012年から13年まで韓国1部大田シチズンで指導を受けた元U-20日本代表MFの馬場憂太さんが、“日本人最後の愛弟子”として恩師の生前の思い出を振り返った。
「ずっと危ない状態だということを聞いていましたので、当時のチームメートと最近も容体を伝える連絡がずっと来ていました。回復を願っていましたが、本当にショックです」
7日に関係者から柳氏の訃報を聞いたという馬場さんは、抜群のテクニックと高い得点能力を武器にJリーグで活躍。FC東京ユース時代にクラブユース選手権で得点王&MVPを獲得し、日本一に貢献。クラブ初のトップ昇格を果たすと、U-18からU-20にかけて世代別代表を経験。29歳の若さで現役引退したが、最後にプレーしたクラブがKリーグの大田シチズンだった。そこで指導者1年目の柳氏と出会った。
Kリーグ移籍の理由は柳氏からのラブコールだったという。「当時僕はドイツにいました。ブンデスリーガ2部だったデュッセルドルフの練習に参加していたのですが、一旦移籍が決まったと伝えられた後に、白紙になってしまいました。呆然としていた時に、知らない番号から電話がかかって来ました。柳さんの代理人からでした。ドイツメディアの情報を把握していたようで、『すぐに大田に来てくれないか?』と伝えられました。すぐに空港に向かいました」
シーズン途中の電撃移籍の裏話を明かしてくれた馬場さん。韓国での第一印象も深く記憶に残っている。
「Jリーグでも活躍していて、韓国ではレジェンドのような存在。昼の練習で合流する前にクラブハウスで挨拶しました。チームジャージ姿でしたが、シュッとしていて格好良かった。現役時代とあまり変わらない。日本語も堪能で、獲得の理由も教えてくれました。FC東京でのプレーを覚えていたそうです」