ライバルより成長が遅い中高生へ 27歳で開花した仲川輝人の「僕が腐らなかった」理由
回り道をしたから見られる景色「腐らないことの大切さを知った」
近年は若い才能が次々と芽吹いている。例えば、18年に横浜FMで一緒にプレーした久保建英は19歳にして世界最高峰のスペインリーグで活躍している。
「羨ましいですよ、それは」と笑った28歳は「あの歳でリーガで普通にプレーできちゃっているし、凄い選手になるとは分かっていたけど、ここまで速いスピードは『ちょっと、ちょっと』という感じもありますよ」と言う。
もちろん、成長の早い遅いに良し悪しなどない。ただ、周囲より回り道をしながら歩み、いろんな景色を見てきたサッカー人生だったから、得られたこともあると信じている。
「自分の経験からすると、マリノスに入って練習もろくに参加できない時間の方が長かった。1年目は怪我をしていて、活動できたのは2か月くらい。次の年からキャンプに参加したけど、11対11(の22人)でやる紅白戦にも入れない。そんなレベルが2~3年続いて、試合に出たいという気持ちがあったレンタル移籍という選択をした。ただ、練習に参加できない、試合に出られない、そんなことは関係なく、絶対腐らないことだけは守っていました。
ろくに練習すらできなかった立場なので、腐らないことの大切さを知ることができた。サッカーが好きだから、腐らなかったのはあると思うけど、人によっては真面目に練習しなくなってしまうとか、深い時間まで夜遊びをして朝の練習にいいコンディションで臨めないとか、そういうこともあるから。その中で、自分は腐らないで練習してきたことが今につながっているし、それが27歳という年齢でMVPにもなれた要因と、僕は思っているので」
人生は栄光だけで埋まるほど短くなければ、挫折だけで終わるほど長くもない。雌伏の時を経て、輝き始めたサッカー人生は27歳だった2019年に本当の幕開けをしたと言っていいだろう。
昨季の活躍からリーグを代表する“顔”の一人になり、自覚は深まった。
「自分にプレッシャーをかけているのは確かで、プレッシャーを楽しんでもいる。さらに気を引き締めないと思うし、実際に気は引き締まったと思う。その中で、もっと『仲川輝人』を世の中に出していければいいと思っています」
コロナによる中断を経て、再開したJリーグ。果たして、仲川輝人のプロフィールには2020年以降、どんなキャリアが刻まれるのか。残された余白に加わる一文一文が、まだ見ぬ才能にとっての希望となる。
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)