16年経っても「なぜ捕れなかったか分からない」 五輪で犯した世紀の落球、会議室の天井に透けた北京の空――野球・G.G.佐藤
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
「シン・オリンピックのミカタ」#60 連載「あのオリンピック選手は今」第2回前編
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
今回は連載「あのオリンピック選手は今」。五輪はこれまで数々の名場面を生んできた。日本人の記憶に今も深く刻まれるメダル獲得の瞬間や名言の主人公となったアスリートたちは、その後どのようなキャリアを歩んできたのか。第2回はプロ野球・西武などで活躍し、2008年北京五輪に出場したG.G.佐藤氏。前後編で伝える前編では、3失策で一躍世間の注目を浴びたあの悲劇の裏側に迫る。(取材・文=THE ANSWER編集部・宮内 宏哉)
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「どうなっちゃってたんだろう……俺の思考回路。なぜ捕れなかったのか、本当に分かんないなあ。確かに、空は見づらかったですよ」
東京・広尾の会議室。グラブを構える仕草を見せたG.G.佐藤は、何もない天井を見上げながら呟く。脳内には、16年前の北京の空が鮮明に広がっていた。
2008年8月。今も野球ファンの語り草になっている3つのミスを犯した。
西武で5月の月間MVPを獲得するなど、当時は絶好調。「1ミリも考えていなかった」ジャパンの一員になった。脂が乗った29歳。完全に天狗だった。
「俺を選ばざるを得ないなって、それくらい調子こいてたんです(笑)。バカバカ打てましたし、あの当時もし選ばれないで負けていたら、それはそれで叩かれたんじゃないかな。
これだけ毎日一生懸命やっているんだから、オリンピックに行っても絶対ちゃんとできると思っていました。野球とそれだけ真剣に向き合っていたので」
自信満々に中国の地を踏んだが、実は代表活動初日からかすかな不安も抱えていた。
「オリンピックはレフトで行くぞ」。対面した星野仙一監督から第一声で告げられたが、本職は右翼手。泣く子も黙る闘将に、意見する度胸はない。
「はい!」。悪夢の落球へのカウントダウンが始まった。