「E.E.佐藤」「A級戦犯」 世紀の落球、大バッシングに晒され…パリ五輪で「俺より派手な失敗やめて」――野球・G.G.佐藤
パリ五輪選手へエール「俺より激しいやつはやめてくれ」
「誰かにいい影響を与えられる人になりたいのが大前提。そのうえで、本当に何がやりたいかをすっげぇ探しているんですよね。自分が何を一番やりたいかって、気になりませんか? 分からないじゃないですか。
考え方に制限かかるのって、大体お金が理由だと思うんです。10億円くらい貯めてやろうかなって本気で思っています。どういう世界なのか、見てみないと分からない。制限がなくなった時に、生きる使命が見つかるんじゃないかなって」
引退後はSNSでの発信も積極的にチャレンジ。中でもTikTokでは、北京で犯したエラーを“ネタ”にして楽しませている。トラウマだった経験が吹っ切れたのは、生前の野村克也氏から「お前の勝ち」と言われてからだ。
「北京五輪で、誰が人の記憶に残っている? 星野とお前の2人だけや」。名将が亡くなる10日ほど前に残した言葉だった。発信してみると意外に好意的な声が多数。今ではセールスポイントだ。
あの夏を思い出す、4年に一度の大舞台が今年も始まっている。歓喜の涙も、悔し涙も流れる17日間。騒動の中にいたG.G.佐藤だから言える、五輪選手へのエールを聞いた。
「何が起きても、まずは受け入れてほしいですよね。最善を尽くした結果、そうなったという意味で、自分を受け入れてあげてほしいなと思います。現に大失敗しても、こうして笑えているやつがいるわけですから。失敗を恐れずにチャレンジしてほしい」
猛バッシングを浴びた経験があるだけに、重みがある。説得力を込めて語ったと思ったら、実にG.G.佐藤らしい言葉も忘れなかった。
「でも、俺より派手なエラーはしてほしくないですね! 薄れちゃう。俺の仕事がなくなっちゃうから(笑)。俺より激しいやつはやめてくれっていうのは言いたいっすね。(野球は実施されないが)全競技、やめてほしい。俺を超える大ミスは」
波乱万丈の野球人生を過ごしたG.G.佐藤に、真面目な質問もしてみた。「野球は人をどう育てるのか」。パリでは実施競技から外れた五輪への想いも聞いた。
(続く)
■G.G.佐藤 / G.G.Sato
1978年8月9日生まれ、千葉・市川市出身。本名は佐藤隆彦。中学時代、野村沙知代氏がオーナーだった「港東ムース」でプレー。野村克也氏とも出会う。桐蔭学園高から法大に進学。卒業後はMLBフィリーズ傘下で3年間プレーした。2003年ドラフト7位で西武入団。07年にレギュラーの座を掴む。08年北京五輪に出場するも、3失策で厳しいバッシングを浴びる。12年にはイタリアに渡ってプレー。ロッテを経て14年限りで引退。父が経営する測量会社「トラバース」に入社した。営業所長、副社長などを経験し、昨年独立。現役時代の公表は184センチ、98キロ。右投右打。
(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)