U-21ドイツ代表“10番”が認める日本人トレーナー 渡独3年、人生を変えた偶然の出会い
語学学校に通い貯金を切り崩す生活、将来が不安になる夜も
休みなく活動していた30歳の頃、初めて1週間の長期休みが取れた。
この頃、海外でトレーナーとして働きたいという気持ちが強くなっていた窪川は、航空チケットを手配する。行き先はドイツ。自身が子供の頃に所属していたクラブチームで遠征に行ったことがあるドイツは、思い入れがある国だった。
「海外で挑戦せず、『行ってみたかったな』で終わる人生は嫌でした。ワーホリ(ワーキングホリデー)のパスポートは30歳までしか取得できない。チャンスは今しかない、と思ったんです」
ドイツに滞在していた出身クラブの後輩に情報を聞き、現場で活動するトレーナーを視察した。実際に活動するトレーナーを見て、自分も海外で挑戦できる確信を持ったという。数か月後には日本での仕事を辞め、ドイツに渡り新たなチャレンジをスタートさせた。
とはいえ、生活する基盤は何も持ち合わせていない。住む場所をなんとか決め、語学学校に6か月間、通う日々が始まった。
「語学学校に通い始めて数か月が経った頃、ドイツ5部リーグのチームでトレーナーの募集があったんです。ちょうど日本人選手がいたこともあり、まだ言葉の不安はあるもののチャンスだなと思い連絡してみました。その後、チームの監督を施術するテストに合格し、チームトレーナーとして活動することになりました」
朝8時から12時まで語学学校に通っていたが、ドイツ語どころか英語も分からなかった窪川は、電子辞書と睨めっこしながら必死についていった。午後は授業で習ったことをもう一度振り返り、夕方から夜はトレーナーとしての活動をし、再び勉強の毎日を過ごしたという。
「ドイツは電車の遅延が多く、ストライキでの運休も少なくありません。トレーナー活動をした後の帰りの電車がなくなり、教科書を見ながら夜道を歩いて帰宅することもありました」
貯金を切り崩しながらの生活だったが、別のバイトをしたらなんのために来たのか分からなくなりそうだった。日本には簡単に帰国できないが、逃げ場もない。将来が不安になる夜も多くあったという。