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「帝京ロンドン学園」で切り拓く未来 FC東京・安斎颯馬も共感、夢に向かう15歳の新たな選択肢

人生とは決断の連続だ。未来の可能性に満ちた10代の若者も、どんな学校に進学し、そこで何を学び、卒業後にどんな進路を選択するかによって歩む道は大きく変わってくる。

加入内定を1年繰り上げて今季FC東京とプロ契約した安斎颯馬
加入内定を1年繰り上げて今季FC東京とプロ契約した安斎颯馬

「部活か、Jクラブアカデミーか」の二択に加わる「海外留学」の選択肢

 人生とは決断の連続だ。未来の可能性に満ちた10代の若者も、どんな学校に進学し、そこで何を学び、卒業後にどんな進路を選択するかによって歩む道は大きく変わってくる。

 開幕32年目のシーズンを戦うJリーグの選手たちも、キャリアを通じてさまざまな決断を下した末に、プロのピッチに立っている。

 日本サッカー特有の進路選択としてクローズアップされることが多いのが、15歳の分岐点だ。中学生から高校生になるタイミングで、部活動を選び全国高校サッカー選手権の舞台を目指すのか、それともJリーグクラブの育成組織(アカデミー)のユースチームを選びトップチーム昇格を目指すのか。「部活か、Jクラブアカデミーか」の二択だが、近年新たな選択肢として存在感を高めているのが「海外留学」だ。

 FC東京のオフィシャルパートナーである帝京大学が35年前に開校し、文部科学省から在外教育施設に指定されている「帝京ロンドン学園高等部」もその1つ。サッカーの母国イングランドで選手としての成長はもちろん、英語でのコミュニケーションを通じて日本国内では得難い人間力の向上を目指すことができ、日本の高校卒業資格も取得できる。

 15歳で未来の自分のなりたい姿を想像し、覚悟を決めて夢への一歩を踏み出せるか。その大切さを知る選手が、FC東京の21歳・安斎颯馬だ。中学卒業のタイミングで東京の親元を離れ、名門・青森山田高校へ進学したが、大きな決断の背景にはどんな思いがあったのか。そして今、進路選択に迫られる10代の後輩たちへ伝えたいメッセージとは――。

 ◇ ◇ ◇

 帝京大学の系列校、1989年開校の帝京ロンドン学園高等部には「サッカーコース」がある。現地の強豪アカデミーと提携し、英国人コーチによる指導を受けるなどプレーヤーとしてのレベルアップを図るほか、国際交流を含めた教育で人間力を高め、コーチング、マネジメントも学べるカリキュラムとなっている。

帝京大学とクラブスポンサー契約を結ぶFC東京は同校の取り組みに参加しており、「海外」「サッカー」をテーマに意見交換など積極的に協力している【写真提供:帝京ロンドン学園】
帝京大学とクラブスポンサー契約を結ぶFC東京は同校の取り組みに参加しており、「海外」「サッカー」をテーマに意見交換など積極的に協力している【写真提供:帝京ロンドン学園】

 何を、どこで、どのように学ぶか。

 自ら将来を設計し、選択と決断を繰り返していくなかでティーンエイジャーは人として成長していく――。

 FC東京のルーキー、安斎颯馬もその1人だ。

 FC東京U-15深川からU-18に昇格できなかったことで青森山田高に入学する。3年時の全国高校サッカー選手権で得点王となって注目を浴びるも、文武両道を実践してAO入試で早稲田大学に進学。そして今シーズン、内定を1年前倒してFC東京と契約を結び、4月3日の浦和レッズ戦で今季初先発を果たしている。

 さまざまな決断の背景にあったものは何か。いかなる挫折があろうとも夢、目標に向かって歩を進めようとする安斎のストーリーは、多くのティーンエイジャーたちの道標にきっとなるに違いない。

 挫折は人を成長させるまたとないチャンスにもなる。

「オフの日もだらしない生活を送っていました。このままだったらプロにはなれないと感じたし、親元を離れて自立して、より厳しい環境で自分を奮い立たせていかないと上には行けないんだなって」

 FC東京U-18への昇格を果たせなかった安斎は、自分にダメ出しをするとともに大きな決断を下す。サッカー強豪校・青森山田高への進学だ。安斎が中2だった2016年度の全国高校サッカー選手権で大会初制覇を果たしており、ここで実力を磨いていけばプロへの道が見えてくるはずだと信じた。

第6節の浦和戦でJ1リーグ初先発。その後もスタメンに名を連ねるなど出場機会を増やしている【写真:(C)FC TOKYO】
第6節の浦和戦でJ1リーグ初先発。その後もスタメンに名を連ねるなど出場機会を増やしている【写真:(C)FC TOKYO】

寮生活で見直した私生活、成績は「オール3」から「オール5」へ

 親元を離れて青森へ。安斎のように高いレベルを求めて全国から有望選手が集まってくるなか、激しい競争と厳しい練習環境は想像以上だった。

「今思えば、かなりきつかったとは思います。もちろんプレー強度が高いし、1回の練習に懸ける思いというのがみんな強い。その強度に耐えられなくて自分のプレーを発揮できないこともありましたし、夏以降はAチームに入ったといっても1年生の頃はほとんど試合に絡めていませんでした」

 ここに来たことは失敗だったのかな。

 そんなふうに思ったこともあるという。しかし、弱気を打ち消して気持ちを切り替え、プロという目標を見つめながら「自分がやるべきこと」に打ち込んだ。それはサッカーだけではなかった。勉強もやると誓っていた。

「元々、勉強は好きじゃありませんでした。小学生の頃から中学生までの成績はずっとオール3くらい。でも私生活を見直さなきゃいけないと思っていたなかで、せっかく青森まで来たんだから勉強もちゃんとやろうっていう気持ちが芽生えたんです」

 いくら練習がハードだろうが、授業では全集中力を傾けた。放課後からはサッカーがあるため勉強の量自体は多くないものの、質で学力を上げていくとオール3はオール5になった。

 私生活から見直し、勉学にも励み、サッカーに打ち込む。

 高2になると怪我が続く。腕の骨折から復帰してインターハイでは「個人的に調子も良かった」が、次に第5中足骨を骨折したことで約半年プレーできなくなる。それでも下を向くことはなかった。

「これからだっていう時にまた怪我をしてしまった。でも、自分が目指す場所に向かってやり続けなきゃいけない。人が見ていないところでどれだけやれるか。元々ある差は、そこでしか埋まらないと思っていましたから。

 努力という言葉は好きじゃないんです。なりたいものに対しての準備であり、投資。自分にとっては当たり前のことでした」

 研さんを積んでいく日々。青森山田の主力として活躍し、高3時の全国高校サッカー選手権は2年連続の準優勝という悔しい結果に終わったものの、安斎は5ゴールを挙げて大会得点王に輝いている。

 現在はFC町田ゼルビアを指揮する黒田剛監督のもとで、勝者のメンタリティを3年間みっちりと叩き込まれた。

「練習試合であっても、練習であっても(相手に)シュート1本打たれただけで、監督の声が飛んできます。よく覚えているのが3年生の時の高校選手権、準々決勝の堀越戦。4-0で勝っても、試合後にかなり怒られて。勝ちへの執念は本当に凄いなって思うし、尊敬している部分でもあります」

スポーツ推薦ではなくAO入試で早稲田大学に進学。サッカー以外の視野も広がったと振り返る
スポーツ推薦ではなくAO入試で早稲田大学に進学。サッカー以外の視野も広がったと振り返る

「プロに行っても通用しない」AO入試で早稲田大学へ進学

 ずっと変わらない安斎の目標は、プロのサッカー選手として活躍すること。高校卒業後にプロの門を叩くかと思いきや、AO入試で早稲田大に進学することを決める。この決断にはコロナ禍も関係していた。

「(高3時の)2020年はまともに活動できない期間も長く、一旦実家に戻る部員も多くいるなか10人ちょっとくらいが残って自主練習を続けていました。でも結局、(高円宮U-18)プレミアリーグが中止になって、夏のインターハイもやるかどうか分からないとなった時に、大会で結果も残していないままじゃ、たとえプロに行ったところで通用しないなと思ったんです。大学に行こう、早稲田に行こうと切り替えました」

 早稲田を目指すにもきちんとした理由があった。早稲田大学ア式蹴球部は学生が主体となって各々を高めていく伝統があり、ここでなら自分にまだ足りないと思えた主体性を伸ばせると思えた。そして高いレベルで勉強にも励みたいとの思いも強かった。

 スポーツ推薦ではなくAO入試での合格。実際、視野が一気に広がっていく感覚を持つことができたという。

「いろんな人がいて、いろんな視点がある。部でミーティングをやっていても、自分じゃ思いつかないような意見が出てくるんです。高校時代は決められたことを第一にやるっていう感じでしたけど、大学になって自分で考えて、自分の意見を持って、行動に移していくことの大切さというものを学べました」

 2021年シーズン、関東大学サッカーリーグ1部最終節となる法政大との一戦はインカレの出場権が懸かっていた。前日に体調不良だった安斎は持ち直してベンチ入り。後半から途中出場して決勝ゴールを奪い、順位を5位までジャンプアップさせてインカレ出場権をチームにもたらしている。

「自分がベンチに入れるかどうか分からないなかで、自分の代わりに出る準備をしてくれた部員もいたわけです。そういった人たちの思いも背負ってプレーしたつもりではあります。それに大学サッカーからプロになる選手というのは、やっぱりチームを勝たせられる人。そういう印象が自分にはあったので、うれしいゴールにはなりました」

 勉学も意欲的に励み、単位もどんどん取得していく。充実した学生ライフを送ることができていた。しかし2年生の翌シーズンに部は2部へ降格。主力として責任を感じつつもプロと自分の距離を測っていくなかで、危機感のほうが強まっていく。

 そんな折、FC東京のキャンプに呼ばれ、実力を高く評価されたことで卒業後の加入が内定。特別指定選手として2023年4月にYBCルヴァンカップ、そして5月にJ1リーグデビューを果たした。そして安斎はまたしても大きな決断を下す。その内定を1年繰り上げて、2024年シーズンからプロとしての挑戦を決めたのだ。

「成長できている実感をものすごく持てて、1年でも早く挑戦したいという気持ちが出てきました。最終的には海外に出て活躍したいという目標があるので、22歳になるこの1年をどう過ごすかによって人生は大きく変わってくるなと考えたんです。ここで決断しなかったら絶対に後悔するよなって」

高校3年間の経験が今に生きていると語る安斎。帝京ロンドン学園の環境に好印象を抱いていた
高校3年間の経験が今に生きていると語る安斎。帝京ロンドン学園の環境に好印象を抱いていた

帝京ロンドン学園高等部への進学は「メチャメチャいい」

 覚悟を決めた人は強い。

 2列目、サイドバックと複数のポジションをこなせる強みをアピールしつつ、今季初先発となった4月3日の浦和レッズ戦、そして7日の鹿島アントラーズ戦と“国立ホーム2連戦”ではエネルギッシュなプレーで勝利に貢献している。夢、目標から逆算しながら日々やり続けたことが、プロになっても成果として表れつつある。

 自分を見つめ直して、地道に取り組んでいった高校3年間が安斎のベースにある。

「元々苦手だった勉強もサッカーの一部だなって考えるようになりました。苦手なものに取り組まなかったら、サッカーの苦手なことにも取り組めない。結局は私生活も勉強も全部サッカーにつながっているのだと高校時代に気づけたことは大きかったと思います。サッカーの一部なのに、それができなかったら夢を叶えることなんてできない。そう考えたら、やるしかありませんから」

 プロを目指すにあたって、本場でサッカーを学べる帝京ロンドン学園のような環境は安斎の目にどのように映っているか。

「メチャメチャいいと思います。サッカーを思う存分やれる環境があるだけじゃなく、しっかり語学力もつくと思うので。僕が大学で早稲田を選んだのもサッカー以外のことを学べるから。自分のいろんな可能性が広がっていくように感じます」

 過去には日本で実績を積みながら海外リーグに挑戦したが、環境に馴染めず挫折していったケースもある。海外で活躍するには語学力だけではなく、現地の文化、考え方を学び、生活していく上での経験も重要になってくるだろう。そういった意味でも、若いうちに海外で生活し現地の選手たちとプレーしながら揉まれていくのも、1つの選択肢になると感じているのかもしれない。

 最後に、夢に向かって一歩ずつ進んでいくために、これからの安斎が「やるべきこと」とは――。

「やっぱり目の前のことに集中して、このFC東京で試合に出続けること、活躍してタイトルを取ることに本気で取り組んでいきます。それがアカデミー時代からお世話になってきたこのクラブへの恩返しになると思っています。そしてその先に海外でプレーする、日本代表に入るという夢に向かっていきたいですね」

■帝京ロンドン学園高等部
ロンドン北西部バッキンガムシャー州に1989年に設立された、日本の高等学校に相当する在外教育施設。緑あふれる広大な敷地には完全個室の学生寮などさまざまな施設を有しており、入学時にグローバルスタディーズコース、サッカーコース、アートコースから選択できる。実践的な英語教育に定評があり、日本の高校と同等の卒業資格を得ることが可能。2022年に私立在外教育施設として初の国際バカロレア(IB)認定校となった。
[帝京ロンドン学園高等部公式サイト]https://www.teikyofoundation.com/

(THE ANSWER編集部)