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“スポンサー危機”から4度目の五輪へ― 東京五輪で羽根田卓也が抱く恩返しの思い

2020年の東京五輪で自身4度目のオリンピックの舞台を迎える。日本のカヌー界に新たな歴史を書き加えた、カヌー・スラローム男子カナディアンシングルで2016年のリオデジャネイロ五輪で、日本人史上初となる銅メダルを獲得した羽根田卓也(ミキハウス)だ。4月7日に行われたジャパンカップ第1戦では減点なしで優勝。

リオ五輪で銅メダルを獲得した羽根田卓也【写真:松橋晶子】
リオ五輪で銅メダルを獲得した羽根田卓也【写真:松橋晶子】

スロバキア生活からスポンサー探しの苦労まで…単独インタビュー

 2020年の東京五輪で自身4度目のオリンピックの舞台を迎える。日本のカヌー界に新たな歴史を書き加えた、スラローム男子カナディアンシングルで2016年リオデジャネイロ五輪で、日本人史上初となる銅メダルを獲得した羽根田卓也(ミキハウス)だ。4月7日に行われたジャパンカップ第1戦では減点なしで優勝。プレ五輪イヤーを勝利でスタートした。

 リオ五輪で銅メダルを獲得した後はメディアに引っ張りだこ。第一人者としてカヌー競技の認知度向上に貢献した。爽やかなイケメンでトーク力も抜群。一躍、その存在は世間に浸透したが、その裏には並大抵ではない苦労の歴史があった。

 18歳で単身スロバキアに渡った。以来、10年以上に渡って、東欧の地を拠点に生活している。今や第二の故郷となった人口約540万人の国。周りに日本人など皆無な環境。誰も頼れなかったが、羽根田にとってはそれが自身を成長させてくれる環境だった。

「何事もやってやれないことはないんだなと。スロバキアに渡ってそれが一番感じたこと。競技にしても、競技外でもそう。言葉にしても、現地の大学の勉強にしても、やると決めたことはできるんですよね。あとスロバキアという国が中途半端に優しくなかったから。日本人もいなかったし、だからそこでいい成長ができたかなと」

 “中途半端に優しくなかった”という独特な表現で語るが、事実、閉鎖的な国民性のスロバキア人にとって物珍しい日本人に心を開いてくれるまでは時間がかかったという。だが、現地の言葉を必死に覚える青年に対して好奇の目は次第に歓迎のまなざしへと変わっていった。

 カヌーの練習環境を求めて、欧州中から選手の集まるスロバキア。カヌー先進国に身を置き心身を、羽根田はまさにカヌー漬けの生活を送り続けた。

 練習して食事して後は自宅に帰って寝るだけ。そんなストイックな生活をしていたというが、象徴するようなエピソードがある。「自分ではわからないですが……」と前置きした上で、こう続けた。

「オフの日はとにかく体を休めることを優先しました。行く先といってもマッサージ、サウナに行き、体が疲れないようにしていた。オフの日に休みだからと飲み歩いているようなことはなかったですね」

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