「バスケが怖い」と思ったプロ2季目 高卒から苦闘10年、後輩へ伝える「自分に勘違いして」の真意
高卒プロの自分にかけていたプレッシャー
琉球との契約最終年の2017-18シーズン、津山は自ら社長に移籍の意向を伝えた。引き留められたが気持ちは変わらなかった。移籍したライジングゼファー福岡で、高校とポイントガードの大先輩にあたる山下泰弘(現・佐賀バルーナーズ)に、プロとしての心構えや試合の準備の仕方を学びながらシーズンを戦い終えた後、海外挑戦に踏み切った。
「キングスにいた時から『ヨーロッパでプレーしたい』と思うようになっていたんです。お世話になっていた佐々宜央さん(現・琉球アシスタントコーチ)に相談したら『行ける場所を選べるほどヨーロッパも世界も甘くない。国にこだわらず、行けるチームがあったらどこでも行ったほうがいい』と言われて、ちょうどBリーグとシーズンがかぶらないカナダのチームでプレーできることになりました。ところがトラブルが起きて、開幕1か月前くらいでカットになってしまって……。いったん帰国して、腰を据えて別の国にチャレンジしようと思っていたら新型コロナウィルスが流行り出して海外に行くことが難しくなったので、前々から声をかけていただいていたアルバルク東京と契約することになりました」
高校時代の華々しい成功体験と比較すると、津山の10年にわたるプロキャリアは苦難の連続だ。周囲からは「高卒でプロに行ったのは間違いだった」「大学に行ったほうが良かった」というような言葉を何度も受けてきた。しかし、それを自身の心の奥まで落とし込んだことは一度もない。先駆者としての意地があったからだ。
「『僕が頑張らないと高卒でプロに入る選手が出てこない』と、自分にずっとプレッシャーをかけていました。確かに、大学に行っていたらキャリアが変わっていたかもしれないですが、若い時にいろんな経験をしたからこそ、バスケのスキルだけじゃなくてメンタル的にもいろんな考え方を持ってプレーできるようになったのかなと思います」
津山がプロ選手になってから10年が経った。Bリーグの誕生により、人気やリーグ・クラブの経営規模が大きくなったことも手伝い、津山の後に続く選手が少しずつ現れ始めている。福大大濠高でウインターカップ優勝を果たした湧川颯斗(三遠ネオフェニックス)。東山高在学中に日本代表候補に選出された瀬川琉久(千葉ジェッツ)。ドラフト制度がスタートする来シーズン以降は、高卒でプロを目指す選手がさらに増えるかもしれない。
津山はまだ見ぬ“後輩たち”にメッセージを送る。
「高卒でプロになるには相当の覚悟がいると思うし、周りからいろんな意見を受けると思います。ただ、結局最後に決めるのは自分自身です。自分の人生なんだから、いい意味で自分に勘違いしてほしいです。今振り返ると、僕はいろいろな見通しや行動に甘さはありましたが、『プロで活躍できる』という自信があったから思い切って飛び込めたし、ダメだったらやり直せばいいくらいのマインドでした。『失敗したらどうしよう』と思うかもしれませんが、『俺ならできる』という勘違いと自信を持ってプレーしてほしいです」
(後編へ続く)
■津山尚大 / Shota Tsuyama
1996年4月16日生まれ、沖縄県出身。180センチ・85キロ。福岡大学附属大濠高校3年時にインターハイと国体の2冠を達成し、アーリーエントリー制度を活用して当時bjリーグの琉球ゴールデンキングスに加入する。ライジングゼファー福岡を経て、2019年10月にはNBLカナダ所属のハリファックス・ハリケーンズと契約。帰国後はアルバルク東京、三遠ネオフェニックス、島根スサノオマジックを渡り歩き、今季から川崎ブレイブサンダースの一員に。開幕から主力の1人として存在感を見せている。
(青木 美帆 / Miho Aoki)
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