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「0対100の9回からでも逆転できる」 五輪から外れた今、大真面目に語る「野球が人を育てること」――野球・G.G.佐藤

五輪から外された野球に対して願うこととは【写真:中戸川知世】
五輪から外された野球に対して願うこととは【写真:中戸川知世】

願う五輪復活「バッハ会長に媚び売るしかない」

 WBCが日本の子どもたちの心を震わせたように、五輪も野球の魅力を伝えられる大舞台だ。現実は正式種目から入ったり、外れたり。復活した東京五輪で日本は金メダルを獲得したが、パリ五輪では実施されない。

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 五輪でバッシングを浴びたG.G.佐藤も「寂しいですよ」と漏らす。「日本国民は特に望んでいると思うので。ヨーロッパでは人気ないのかな」。競技ができるならサッカーのように年齢制限を設けたり、アマチュア限定の出場にしたりもアリだと考える。

「もしそれで世界的に認めてくれるのであれば。どうやったらやらせてもらえますかって(IOCの)バッハ会長に媚び売るしかないですよ(笑)。4年に一度の金メダルかけた大会、見たいですけどね……」

 野球少年、少女が目指せる舞台は多いに越したことはない。「自分の可能性を信じ続けて、諦めずにやったらきっといいことがある」。真面目に野球を語ったG.G.佐藤の目は、優しかった。

■G.G.佐藤 / G.G.Sato

 1978年8月9日生まれ、千葉・市川市出身。本名は佐藤隆彦。中学時代、野村沙知代氏がオーナーだった「港東ムース」でプレー。野村克也氏とも出会う。桐蔭学園高から法大に進学。卒業後はMLBフィリーズ傘下で3年間プレーした。2003年ドラフト7位で西武入団。07年にレギュラーの座を掴む。08年北京五輪に出場するも、3失策で厳しいバッシングを浴びる。12年にはイタリアに渡ってプレー。ロッテを経て14年限りで引退。父が経営する測量会社「トラバース」に入社した。営業所長、副社長などを経験し、昨年独立。現役時代の公表は184センチ、98キロ。右投右打。

(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)


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