サッカーは「ミスが必ず起こるスポーツ」 味方のミスも自分の責任に…11人の競技だから育まれる資質――サッカー・熊谷紗希
ジュニア時代に育まれた、誰かのために献身的になれる強さ
それにしても“挫折”という言葉が、これほど似合わない選手も珍しい。「もちろん、サッカーをしていると楽しいことばかりじゃない」とも言っていたが、途中でサッカーをやめたいとか、逃げ出したいと思ったことはほとんどないと言い切っていた。
「ここまでサッカーを続けられているのは、もう好きでしかないから。楽しい瞬間が多くて、何よりも自分を一番表現できる舞台だからかもしれません。サッカーをしている時が、一番輝いている姿を見せられるし、やめられないなっていう瞬間がたくさんあるんです。それは準備してきたものが、成果や結果として出た時です」と目を輝かせる。
そのなかでも忘れられない象徴的なシーンが、日本の女子サッカー史に新たな1ページを刻んだ2011年W杯の優勝だという。
「本当に忘れられない景色でしたし、頻繁には出てきてくれないシーンでもありますよね。でも、もう一度味わいたい。なでしこジャパンにとっても、チームとして世界と戦う上での自信にもなったと思います。『娘がサッカーを始めました』という声もたくさんもらえて、実際に女の子のサッカー人口も増えた時期だったので本当に嬉しかったです」
幼少期から夢中でサッカーボールを蹴り、仲間とともに歴史を変える偉業を成し遂げた熊谷。育成年代の子供を持つ親に今伝えたいことを聞くと、「どんな時も応援してあげてほしい」という。
「私も中学生の時、クラブチームに約2時間くらいかけて通っていました。帰ってくるのが遅くても、母がご飯を作って待っていてくれて、洗濯物も出したらすぐに洗ってくれていたのを覚えています。そういうサポートがなかったら今の私は絶対になかったので、どんな時でもサポートしてあげてほしいです。もちろん、これはサッカーだと嬉しいけれど、そうじゃなくてもいい。どんな分野でも子供たちがやりたいことを全力で応援してあげてほしい」
両親の支えにも感謝し、それに応えたい想いがある――。誰かのために献身的になれる責任感の強さは、家庭のなかで自然と培われていたのかもしれない。
サッカーというスポーツを通じて、ピッチ内外でかけがえのない経験をしてきた熊谷は今夏、33歳で3度目となる五輪に臨む。W杯優勝翌年の2012年ロンドン大会では銀メダルも、16年リオデジャネイロ大会はアジア予選敗退、21年東京大会もベスト8で敗退し、近年は女子サッカーへの関心が薄れている危機感も感じている。
「自分たちが結果を出すことで、もっと高い関心を引きつけることにつながる。だからパリ五輪では必ず結果を出したい」
1人の人間として、自らを成長させてくれた女子サッカーの未来のために――。なでしこジャパンの頼れる主将は、12年前にあと一歩届かなかった悲願の金メダルを目指し、パリ五輪での躍進を誓っている。
■熊谷 紗希 / Saki Kumagai
1990年10月17日生まれ、北海道出身。常盤木学園高時代から日本女子代表に選出され、2009年に浦和レッズレディースに加入。20歳で出場した11年ドイツ女子W杯で世界一を経験した。大会後にドイツのフランクフルトへ移籍すると、13年からフランスの強豪リヨンへ。UEFA女子チャンピオンズリーグ5連覇など主力としてチームの黄金期を支えた。21年からバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)、23年からはASローマ(イタリア)と13シーズンにわたって欧州でプレーしている。五輪は12年ロンドン大会で銀メダルを獲得、21年東京大会は主将として戦った。
(金 明昱 / Myung-wook Kim)