五輪開幕で考える「スポーツの力」 震災から半年、能登でバドミントン福島由紀が届けた涙のエール
パートナーの怪我に翻弄された競技人生「受け入れて、少しずつ前に」
自分でコントロールのできないアクシデントに翻弄された競技人生だった。
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世界ランク1位で金メダル有力候補だった2021年東京五輪は直前にペアの廣田彩花が右膝の前十字靭帯断裂を負い、出場は不透明に。なんとか五輪の舞台にはこぎつけたものの、ベスト8止まり。雪辱を期したパリ五輪は選考レース終盤となった昨年12月、廣田が今度は逆足の前十字靭帯断裂を負った。
手術は回避したものの、最終的にパリの切符は逃した。2人で1つのチームで戦うダブルス種目。自分は万全の状態なのに、プレーができないもどかしさを味わってきた。「東京五輪の時はいろんな人に助けられて……」。そんな話を口にすると、福島さんは涙を流し始めた。
視聴覚室の空気がピンと張りつめた。
「最初は目標だった五輪に出られることがうれしかったけど、廣田の怪我があって、私ってこんなにいろんな人に支えられて五輪に出られるんだと……。私だけじゃない、廣田だけじゃない。その人たちのために頑張ろう、と。怪我をしたことは仕方ない。受け入れるしかない。その中で周りを考えられる自分を知って、成長できた」
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天災も予期せず、やってくる。そんな時、困難にどう向き合うか。
もちろん、被災者と自分の体験をそのまま重ねられるなんて思っていない。ただ、自身も2016年の熊本地震で寮の部屋がぐちゃくちゃになり、2020年の熊本豪雨では地元・坂本町は近隣の橋5本のうち4つが不通になり、家族との連絡も途絶えた。故郷を失う不安に駆られた。
だから、自然と言葉に熱が帯びた。
小さい頃から「誰よりも負けず嫌い」という福島さんが、小さな教室の教壇で流した涙は、本気で向き合い、想いを伝えた証し。最前列で聞いたバドミントン部の女子中学生はまっすぐ前を見つめ、一言一言に聞き入った。
「今の状況を否定していても始まらない。『なんでこうしてくれないんだ』と言っても、できること、できないことがある。受け入れるしかない。その中で、絶対に少しずつ良くなっていくから諦めず、少しずつ前に進んでほしい。私に少しでもできることがあればと思って、今日ここに来たし、今の状況を知ることができて良かった」
すでに選手としてリスタートを切っている福島さん。東京五輪の挫折、さらにパリ五輪を逃して、ある変化が生まれたという。
「東京五輪の後はパリを目指そうと思ってなかったけど、時間が経つにつれて『私、バドミントンするのが楽しいな』って思うようになった。それまでは勝ちを求めて、五輪でメダルを獲りたいと思っていた。でも、トライすることを純粋に楽しめるようになった。
失敗を恐れずにやる。言葉で言うのは簡単だけど、実際に経験しないことには気づかない。今は小さい目標から一つ一つ掲げて、できなかったら反省して、また頑張る……の繰り返し。視野が広がり、いろんなバドミントンの形が見られているから楽しいです」
現実を受け入れ、向き合い、乗り越えようとするから、強くなれる。そして、その先に今まで出会ったことのない自分がいる。
当事者が口にした言葉には力があった。