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当然にも思える女子バレー「リベロ2人」の大胆構成 眞鍋監督が受け継ぐ「日本の生命線」が表彰台のカギ

公開練習に参加したリベロの福留慧美【写真:中戸川知世】
公開練習に参加したリベロの福留慧美【写真:中戸川知世】

「速攻コンビバレーなんてマスコミ用のまやかし」 かつて名将が言い切った言葉

 11年夏、この年の末に亡くなった松平康隆氏に話を聞いた。72年ミュンヘン五輪金メダル監督で、日本や世界のバレーを牽引してきた同氏から聞いたのは意外な言葉。「速攻コンビバレーなんて上っ面しかみないマスコミ用のまやかし。日本が世界に勝つには拾いまくるしかなかった。チームの本質は守備にあった」。キラ星のごとくスターを揃え、素早い連携からの攻撃で世界を驚かせた名将は「攻撃は本質じゃない」と言い切った。

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 確かに、日本バレーの歴史は守備の歴史だった。64年東京五輪で金メダルを獲得した「東洋の魔女」は回転レシーブが武器だった。72年ミュンヘン五輪金の「松平一家」も実は守備重視だった。マスコミ用の華麗な攻撃練習の陰で8割以上はレシーブ練習。顎を切った血でコートを染めながら、フライングレシーブが延々と続いたという。

「体格で劣る日本が、攻撃で世界を上回るのは無理。工夫して高さに対抗しても、取れるのは1試合数ポイント。ただ、守備なら体力と技術で勝負できる。勝利のカギは、コート上20センチにある」。今にして思えば、松平氏が日本バレー界に伝えたい「遺言」だったのか。その思いは、確かに今も生き続けている。

 眞鍋監督は、そんな松平氏を師と仰ぎ「遺志を継ぐ」と宣言して12年ロンドン五輪で銅メダルを獲得した。「日本の生命線」は松平氏からも受け継ぐ日本バレーの伝統。だからこそ、リベロ2人という大胆なメンバー構成で世界に挑むことに迷いはなかった。

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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