天才レフティーも認めた久保建英の「CREMA」 10代で何度も逆境に直面、克服し増した“深み”
日本での試練を糧に勝ち取ったレアル移籍
その後、久保は「18歳未満の国際移籍禁止」のルールに抵触し、日本に帰国せざるを得なくなった。そのキャリアは、不測の逆風を受けた。14歳で突然、道の先がなくなった。バルサとは似ても似つかないサッカーに適応するため、FC東京に移籍した当初は、本人も相当な葛藤があったに違いない。
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しかし15歳の久保は飛び級でクラブユース得点王、J3史上最年少出場、最年少得点と次々と凄まじいスピードで記録を作っていった。16歳でプロ契約し、J1デビューも飾っている。17歳の時には守備や強度を要求され、一念発起で横浜F・マリノスにレンタル移籍でゴールを決めるも、その後は出場機会に恵まれず。いわゆる挫折だったが、彼はそれをバネにした。徹底的なフィジカルトレーニングや意識の向上で、次のシーズンには18歳で日本代表、レアル・マドリード移籍を勝ち取ったのだ。
久保は天才的だったかもしれないが、同時に試練を糧にしてきた。つかみ取ったタイミングで、「自らの人生を正解に」している。一気に疾走したことで、天才が醸し出すCREMAは泡のように消えなかった。今はその味わいは深みを増した。
サッカーの世界は人生と同じで、一つ成功しても、そこで終わりではない。成功を積み上げ、失敗を改善につなげる。その繰り返しができるタフさこそが才能なのだ。
(小宮 良之 / Yoshiyuki Komiya)