左脚を切断しながら高校時代は野球部、ハンディは「言っても仕方ない」 パラサイクリング川本翔大の生き様
パリパラリンピックへ「試合でしっかり自分の100%を出せるように」
「この競技をやっていなかったら、たぶん広島から出ることもなかったと思うんです。それが毎年のように大会で海外に行くようになって、ベルギーなんて毎年なんで“また帰ってきたな”みたいな感覚になるんですよね。
それと僕は人見知りで、人と話すのがあんまり得意なほうではなかった。いろんな人と接する機会が増えて、どんどん話せるようになった。これも(自分の)変化かなと思います」
社員として採用してくれた大和産業、応援してくれる周りの人々、スタッフ、競技仲間、家族、友人……パリパラリンピックのメダルを目標に掲げ、感謝の気持ちを日々のパワーに変換している。
「パラリンピックでメダルを獲るためには、試合でしっかり自分の100%を出せるように日ごろの練習で最初の1本目からいいタイムを出していく。そこをベースに(練習に)入っていくことを心掛けてやっています」
本大会まであと1年足らず。
母は遠距離のリオ、無観客の東京だったこともあり、一度もパラリンピック会場まで応援に来ていないのだという。実はパリの出場を決めても、広島から応援することを既に伝えられている。静かに見守ってくれるのが、母らしいとも感じている。
バンクを颯爽と、風のように。
川本はきょうもペダルを力強く踏み込んでいく――。
(二宮 寿朗 / Toshio Ninomiya)