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左脚を切断しながら高校時代は野球部、ハンディは「言っても仕方ない」 パラサイクリング川本翔大の生き様

2021年東京パラリンピックのパラサイクリングC2クラスの3km個人追い抜き4位・川本翔大が「THE ANSWER」のインタビューに応じ、その生き様を語った。生後間もなく病気で左脚を付け根付近から切断しながら、高校時代は野球部に在籍するなど、さまざまなスポーツにチャレンジ。3度目のパラリンピックとなる来年のパリ大会でメダルを目指す川本にとって、何よりも感謝する人物が母という。(文=二宮 寿朗)

パラサイクリングの川本翔大【写真:松橋晶子】
パラサイクリングの川本翔大【写真:松橋晶子】

来年パリパラリンピックのメダル候補が一番感謝したい母の存在

 2021年東京パラリンピックのパラサイクリングC2クラスの3km個人追い抜き4位・川本翔大が「THE ANSWER」のインタビューに応じ、その生き様を語った。生後間もなく病気で左脚を付け根付近から切断しながら、高校時代は野球部に在籍するなど、さまざまなスポーツにチャレンジ。3度目のパラリンピックとなる来年のパリ大会でメダルを目指す川本にとって、何よりも感謝する人物が母という。(文=二宮 寿朗)

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 パラサイクリングの川本翔大は、来年に開催されるパリパラリンピックの有力なメダル候補に挙がるまでになった。

【前編】何事にも挑戦し続けた子ども時代 感謝する恩師との運命的な出会い / パラサイクリング 川本翔大選手インタビュー(GROWINGへ)

【後編】悔しさから学んだ練習を楽しむ大切さ 恩師とともに歩むメダルへの道 / パラサイクリング 川本翔大選手インタビュー(GROWINGへ)

 競技を始めてわずか8か月で出場した2016年のリオ、C2クラス(2番目に障がいが重い)の3km個人追い抜きにおいてメダルまであと一歩の4位に迫った2021年の東京。3度目のパラリンピックに向けて彼に対する注目度は上がっている。昨年10月、フランスで開催された「パラサイクリング世界選手権トラック」では得意とするトラックの個人3km追い抜きをはじめ、3個の銀メダルを獲得した。8月19日に27歳になった彼はアスリートとして旬の時期を迎えている。

 感謝の気持ちを大切にするサイクリストだ。

 生後間もなく病気によって左脚を付け根付近から切断しながらも、幼少のころからあらゆるスポーツにチャレンジしてきた。サッカー、テニス、卓球、バドミントン……女手一つで育てくれた母親は何をやるにしても反対されたことは一度もなかったという。広島県立上下高校に進学すると、今度は野球部に。安全面を理由に公式戦の出場は認められなかったものの、障がい者野球に移ってからはメキメキと頭角を現して3年の時に日本代表に選ばれ、世界大会に出場している。

「(脚のハンディみたいなところは)言っても仕方がない。元々両脚で歩いたことがないし、松葉杖しか使ってなかったので特に不便も感じていなかったですね。

 自分がやりたいことなら何でもやらせてもらえました。ただ、自分がやったことにはしっかりと責任を持つように、と。やはり母には一番感謝しています」

 やらされた感覚がないから、何事にも能動的に取り組めた。バランス、右脚のパワー、強いフィジカル。様々なスポーツで培ったことがパラサイクリングで活かされていると実感できている。かつ、不便を感じることなく果敢に挑んでいくチャレンジ精神が磨かれていった。干渉しない母親のおかげ。川本はそう思っている。

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二宮 寿朗

1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)、『鉄人の思考法~1980年生まれ戦い続けるアスリート』(集英社)、『ベイスターズ再建録』(双葉社)などがある。

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