「クラブと心中する覚悟」で私財1億円 悲願の天然芝練習場も完成、愛媛FCを変革する父娘の物語
「父の仕事を間近で見てきた」長女の今後に注目したい理由
愛媛FCを運営する、株式会社愛媛フットボールクラブが設立されたのは1995年。その中心にいたのが、愛媛県立南宇和高等学校サッカー部の監督だった、石橋智之であったことはよく知られている。「愛媛県にJクラブを作り、優れた指導者と選手を輩出していきたい」──。高校サッカー日本一を果たしていたとはいえ、当初はいち高校体育教師の夢物語でしかなかった。それでも、共感を覚える地元企業の経営者の中に、茉利江の父・忠の姿もあった。
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「もともと剣道をやっていた父は、サッカーは門外漢でした。それが愛媛FCの立ち上げに関わって、スポンサーにもなって、2017年にはクラブ社長になってしまったんですよね(苦笑)。理由は、その前の2シーズンで、クラブの赤字が続いていたこと。3年続くと、ライセンス剥奪になりますからね。実は父は、倒産しかかった東洋印刷の経営を立て直しているんですよ。しかも2回も。そうした経験に加えて、愛媛FCへの思いも後押ししたんだと思います」
それから2年後、前述のとおり赤字の穴埋めに、1億円を自己資産から投入。決して美談にしてはいけない話だが、この決断が天然芝のトレーニング施設完成の呼び水となったことは、先に触れたとおり。忠は「自分が社長でいる間、天然芝のグラウンドは難しいだろう」と考えていたという。
そんな父を見ていた茉利江だったので、クラブ取締役として愛媛FCに情熱を傾けるのも自然の流れだった。一方で、悔しい思いをすることも。本腰を入れて営業を始めた2022年の開幕前、スポンサー回りをする中で「J3に落ちるようだと誰も応援しなくなるよ」と言われたことがあった。パートナー企業への感謝の念を抱きつつ、言葉を選びながら茉利江はこう続ける。
「言われて思ったのが、愛媛FCの価値が軽んじられているのではないかって。ものすごく悔しかったんですよね。身近で見ている立場からすれば、負けてヘラヘラしている選手なんて1人もいないですよ。本来はリスペクトされるべき選手たちが、軽んじられているならば、きちんと彼らの価値を伝えなければならない。そう考えるようになりました」
茉利江自身、これまでの職歴や人脈を活かす形で、動画をはじめとする情報発信のテコ入れに着手している。それでも現時点では、天然芝の練習場こそが「クラブの価値を高めている」ことは、彼女自身も認めるところだ。
「去年は人工芝だったので、開幕前に怪我人が10人くらいいたんですよ。でも今年は、シーズンインから天然芝の練習場があって、石丸(清隆)監督が目指す強度の高いサッカーができています。昇格争いに絡んでいるのも、そのおかげでしょうね。ファンの皆さんは専用スタジアムを希望されていると思いますが、その前にまず、コンテンツが魅力的であることが大事だと考えます」
サッカー界の外側からやって来たビジネスパーソンで、しかも女性がクラブ経営するようになれば、Jリーグはもっと面白くなるのではないかと、個人的に思っている。その意味で、茉利江の今後のキャリアに注目したい。そういえば、父親からクラブ経営を任された女性社長は、すでに存在しているではないか。そう、V・ファーレン長崎の元社長、髙田春奈である。
「髙田さんとは面識はないんですが、経歴と家庭環境が似ている部分もあるので、彼女のインタビュー記事は意識して読んでいます。私も父の仕事を間近で見てきましたし、天然芝の練習場を完成させた経緯も知っています。父の仕事を次につなげていくのが、自分の仕事なんだろうなっていう自覚はあります」
そんな彼女に「愛媛FC社長のオファーがあれば、どうします?」と、最後に聞いてみた。茉利江の答えは、私が想像していた以上に明確だった。
「愛媛FCは県民クラブですから、県民の皆さんがどう思うかが一番大事ですよね。その上で、私に任せたいということでしたら、ぜひお引き受けしたいと思います」(文中敬称略)
(宇都宮 徹壱 / Tetsuichi Utsunomiya)