「育成のガンバ」が目指す未来は? 30年前からの伝統を知る松波正信、禁断の移籍で抱いた危機感
セレッソ大阪U-18への「禁断の移籍」から学んだこと
その後、2シーズンにわたる鳥取での仕事を終え、2016年に松波は大阪に戻ってくる。ただし古巣のガンバではなく、宿命のライバルであるセレッソ大阪U-18コーチへの就任。ミスターガンバと呼ばれた男の「禁断の移籍」には、両クラブのファン・サポーターが色めき立った。
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
当時のセレッソは、大熊兄弟の時代。兄の清が強化部長とトップチーム監督を兼任しており、弟の裕司はアカデミーダイレクター兼U-23監督。弟とはS級が同期で、その縁でセレッソの練習を見学していた時に、弟の裕司から「ウチに来ないか」と声を懸けられたという。
「最初は断ったんですよ。そうしたら、もう一度お誘いをいただいて、その時に『ガンバもセレッソも関係ない。関西のレベルを上げることが日本サッカーの育成に寄与することになるんだから』と言われて、覚悟を決めました」
すでにセレッソU-18からは、柿谷曜一朗、山口蛍、南野拓実といった逸材たちが日本代表に、そして世界に羽ばたいていた。それでも「ガンバに追いつき追い越せ」というのが、育成現場での共通認識。松波がスカウトされたのも、そうした事情があったのは間違いないだろう。
松波自身、セレッソU-18での2年間は学びが多かったと振り返る。
「当時のセレッソは、技術もさることながら、ハードワークやインテンシティを重視していました。ただしガンバと比べて、やっぱり技術や判断や戦術といったところで、少し劣っていたように思います。ですから、ガンバの良い部分は見習いつつも『セレッソのフィロソフィーは曲げずに落とし込んでいきたい』というのが、当時の大熊さんたちの考え方でした」
そうした姿勢に感心しつつ、松波は古巣への密かな危惧を抱いていたという。
「セレッソの育成には、当時から柔軟性と発展性が感じられました。一方のガンバには、これまで培ってきたことを大事にしすぎている、という印象があったんです。伝統を否定するわけではないんですが、いつまでもそれにこだわっていたら、いずれセレッソに追い抜かれてしまうのではないか。そんな危機感を持っていましたね」
2018年、4年にわたる模索の旅を終えて、松波はガンバに帰還する。今度のポジションは、アカデミーダイレクター。2021年5月14日には、宮本恒靖の解任に伴い、再びトップチームの監督に就任することとなるが、今度は13位で残留を果たすことができた。その後は育成のトップとしての仕事に戻り、現在に至っている。
「育成の指導って、毎日のように変化が感じられるんですよ。『俺、上手くなっているんだ』という実感が、子供たちの表情から手に取るように伝わってくる。その瞬間というものは、トップチームの勝利とは、また違った喜びが味わえるんですよね」
インタビューの最後に、あえて松波に尋ねてみた。「トップチームの監督と育成の指導、どちらが楽しいですか?」と。即答で「今のほうが楽しいですね(笑)」。そして、こう続ける。
「ガンバの育成で育った選手が、トップチームで活躍して、引退後に指導者として次世代を育てていく。すでに、そうしたサイクルは完成しています。指導者のクオリティや経験値の向上は、単にガンバというクラブだけでなく、地域の子供たちにも還元されていくのが理想的ですよね。僕自身、サッカーの育成を通じて、新たな喜びを地域に提供できればと思っています」
大阪ダービー後、やや持ち直したとはいえ、依然として厳しい戦いが続く今季のガンバ大阪。個人的には、ミスターガンバの3度目のトップチーム監督就任がないことを、密かに願っている。やはりこの人の天職は、育成現場にあると強く感じるからだ。(文中敬称略)
(宇都宮 徹壱 / Tetsuichi Utsunomiya)