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セルティック移籍に「後悔はない」 怪我に泣いた2年半、水野晃樹が間近で見た中村俊輔の凄さ

スコットランドの濡れたピッチに苦戦「踏ん張って膝がずれた」

 2008年1月、水野はジェフユナイテッド千葉からセルティックに移籍している。当初から、ゴードン・ストラカン監督の信頼は感じたという。ただ、半年はリザーブリーグで試合出場を重ねた。

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「ストラカン監督には『焦るな。しばらく時間はかかる』と言われていました。プレーリズム、芝生、生活環境、すごく違うから適応するのに時間は必要で。『ナカ(中村俊輔)はイタリアでの経験があってスコットランドに来た。お前は日本から初めて異国に来たんだ』と説明されて。じっくりやっていこうと思いました」

 言葉をマスターできたわけではなかったが、コミュニケーションは良好だった。社交的な性格のおかげでチームメイトと仲良くなり、「お前は日本人じゃない、ナカと全然違う」と言われた。生活にもすぐに馴染んだ。

 満を持した2年目、開幕前に右膝の半月板損傷で出遅れたのはハンデだったが、逆境には強かった。年末に復帰すると、ハーフウェーラインを越えたあたりから走り出し、中村からのパスを受け、爆走ドリブルからの豪快なゴールも決めた。

「俊さんの存在は大きかったですね。サッカーに対する姿勢もそうですが、ピッチの上で。『もっと特長を生かせ、キックやスピードの質はここの選手たちよりも上だから』って励まされていました」

 水野は言う。

「その試合は初めてのスタメンだったんですけど、前半は全くボールが回って来なくて。ハーフタイムに俊さんに『お前、全然ボールに触ってないだろ? 俺が持ったら、絶対に動き出せ。パス出すから』って言われて。その通り、俊さんが持った瞬間に走り出したら、目の前にいいボールが出てきて。サイドに張っていたんですが、あの時だけ中に走っていました」

 2年目は10試合に出場した。土台ができたはずだったが、ストラカン監督が去って、中村も移籍。加えて開幕後、今度は左膝半月板の損傷で戦線離脱を余儀なくされることになった。

「スコットランドは雨が多くて、晴れる日は少ないんです。だからピッチはいつも濡れて滑って、芝生ごとごっそりはがれそうな感じになるんですよ。だから練習の時から滑らないように踏ん張るんですが、地元の選手は慣れているのでしょうけど、自分は日本でやってきたので。踏ん張って膝がずれて、軟骨をやったりしていました」

 3年目はリーグ戦1試合の出場に終わった。代理人とも話し、「一度、帰国して態勢を立て直すべき」という結論に至った。中村を欠いたセルティックは、ラグビーのようなパワーサッカーになってしまい、活躍する余地が見えなかったのだ。

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水野 晃樹

サッカー元日本代表 
1985年9月6日生まれ。静岡県清水市(現・静岡市)出身。清水商業高(現・清水桜が丘高)を卒業後、2004年にジェフユナイテッド市原(現・千葉)に加入。イビチャ・オシム監督の指導の下、2年目の05年に出場機会を増やすと、U-20日本代表にも選出されオランダでのワールドユース(現・U-20W杯)に出場した。07年にはJ1リーグで29試合9得点の活躍を見せ、日本代表にもデビュー。08年1月、セルティックへ初の海外移籍を果たすが怪我もあり不本意な結果に。10年6月に柏レイソルへ移籍して国内復帰を果たすと、8クラブを渡り歩き、今季からJ3のいわてグルージャ盛岡に所属している。

小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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