250枚のFAXでカメルーンとの試合が実現 1人の高校生を決意させた日韓W杯の経験
カメルーンとの試合がなければ「今の人生はなかった」
その後、何度かの名称変更を経ながら、2012年に全国リーグであるJFLに到達。14年に現在のヴェルスパ大分となり、2020年にはついにJFLで優勝。翌21年には、別府市と由布市をホームタウンとすることで、Jリーグ百年構想クラブに認定された。生口は2015年の現役引退後もヴェルスパに残り、今は専任のGMとして大分第2のJクラブを目指すべく奮闘を続けている。
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「僕が大阪にいた4年の間に、大分のサッカー環境は大きく変わりましたね。西川周作や清武弘嗣が出てきたのも、僕がいなかった時のことでした。僕自身は、2002年のカメルーンとの対戦がきっかけで、大分のサッカーに貢献していこうと決意したんです。20年前の強烈な経験がなければ、おそらく今の人生はなかったと思います」
果たして、大分県に2つのJクラブが共存し得るのか。それについては、さまざまな考え方があるだろう。ここで注目したいのが、トリニータとヴェルスパの成り立ちが、極めて対照的であることだ。すなわち、前者はW杯スタジアムを埋めるコンテンツとして誕生したのに対し、後者はW杯開催が契機となって創設され、地道な活動を続けながら全国リーグまで到達して今に至っている。
しかもクラブのGMは20年前、カメルーン代表との公開練習試合がきっかけで、地元のサッカーに貢献する人生を選んだ。2002年W杯とカメルーン代表は、とてつもないレガシーを大分の地に残したことになる。(文中敬称略)
(宇都宮 徹壱 / Tetsuichi Utsunomiya)