戸塚優斗、普通科高校で目指した文武両道 「足が震えた」平昌五輪後に恩師が見た覚悟
大会で勝つごとに「雰囲気が大人になっていった」
高校1年時にワールドカップ(W杯)で優勝してからは、言葉や振る舞いにも気を配るようになった。
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「大会で勝つごとに、雰囲気が大人になっていきましたね。一番は、言動ですね。なんとなく今の高校生たちってフレンドリーに接する子たちが多い。彼も1対1ではフレンドリーに話しますけど、誰かほかにいる場合であれば、敬語をしっかり使ったり、そういう使い分けをしていました」
日の丸を背負う選手としての自覚が芽生え、友人たちによるSNSへの写真投稿も上手くコントロールしていたと話す。
平昌では結果が出なかったが、ビッグイベントを経験し、競技への意識は大きく変化した。以前は聞かれなかったメダルへの渇望。何気ない会話の中でも、「次の五輪はメダルを取りたい」と口にするようになった。
トレーニングを優先し、授業を欠席することも増えたが、普通科の生徒として最後まで通学した。「通わせる時は通わせたい。学校の高校生活をさせたい」というのが戸塚の母の希望だった。
脇野さんは学生時代、テニスに打ち込み、海外で試合に出場するほどの腕前だった。そのことを学校から買われ、国際大会の多い戸塚を指導していた。競技に熱中すると、視野が広くなったようで狭くなりがちだ。テニスでも高校から通信制を選ぶ生徒が増えている現状があった。「ウチの学校は通信制ではない。同級生の子が何をしているのかを知った上で競技に取り組むといいんじゃないか、ということをすごく話してましたね。スノーボードの世界だけじゃないんだよというのを伝えたかった」と戸塚に言い聞かせた。
戸塚も両立を目指した。海外では合間に課題をこなし、登校した際は図書館に缶詰めになって、先生たちから付きっきりの指導を受けて補習した。遠征中はクラスメートもLINEで協力。2年時には「絶対に、一生ないから」と脇野さんに背中を押され、オーストラリアへの卒業旅行にも参加した。異国でホームステイを経験し、かけがえのない思い出を作った。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で、たった1人の卒業式になった。戸塚の口からは感謝の言葉がついた。「トップアスリートが普通に高校生の中にポンと入るだけでも、子供たち同士の刺激になる。多様さと言われている時代だからこそ、いろんな子が混ざってていい。クラスの子たちと普通に仲良くなれて卒業したのは良かった」と、脇野さんは振り返った。